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<教育学①>教育学ってなに?

教育学とは?

 公立小学校定年退職後、縁あって、看護学校で教育学の授業を担当することになりました。大学も教育学部で、研究室は教育学。教職のまま大学院へも行かせてもらい、敎育学修士の称号もいただいている身ではありますが、教育学とは何だ?と言われると、パッと答えられないんです。

 辞典には次のように書かれています。

教育という事象を対象とする科学という意味であるが、第2次大戦までは思弁的方法を中心とする教育研究の領域を教育学とよび、教育史や教育心理学などと区別する場合が多かった。

 戦後は、教育哲学、教育史、教育社会学、教育心理学、比較教育学、教育方法学、教科教育学、教育工学、教育行政学、学校経営学、社会教育学などに分化したため、教育学はこうした教育諸科学の総称として用いられる場合が多くなった。」(細谷俊夫)

『新・教育学大事典』(第一法規)

    教育諸科学の総称?・・へええ。じゃあ「教育」って何?

教育とは?

 村井実(1994)『教育思想 発生とその展開(上)』(東洋館出版社)によると、「教育」という言葉は、中国の古典『孟子』に最初に出てきたとされています。

岡田昭人(2015)は 次のような説明をしています。

「「教」という字は攴(ボク)と爻(コウ)という意味から成っている(山崎編 2004:4-5)。「攴(ボク)」は子どもを棒などで叩いてしつける、ならわせるという意味がある。「爻(コウ)」は子どもが年上に倣う、「真似る」ことである。要するに、「教」は一字で「上から下に教える」、「下は上に倣う」という意味になる。また「育」という字は「𠫓(トツ)」と「月(ニクズキ)」から成っている。𠫓は子をさかさまにした形で、赤ん坊が頭を下にして正常な姿で安らかに生まれてくる様子を表している。月は肉がついて大きくなっていくことを示している。すなわち、「育」は生まれた子どもが健やかに成長している様を表している。」(P.4)

『教育学入門ー30のテーマで学ぶー』 ミネルヴァ書房(2015)

「ここからは、「上から下に知識を教え込む」といった「知識詰め込み型」の教育がイメージされよう」(pp.4~5)としています。一方、外国語の語源として、英語の「education」やフランス語・ドイツ語の教育という言葉は、ラテン語の“educatio”に由来しているとし、さらに”e-”(外へ)””ducere”(引き出す)という意味 から、「ややもすれば正反対のような成り立ちや考え方が背景にあることがわかる。」(p.5)と書いています。

教育現場では?

 この違いは、日本の教育と欧米の教育のあり方の違いとしてだけでなく、現場の先生方一人一人の指導方法や児童との対応の違いとして表れるのではないかと考えています。
 現在「棒で叩いてしつける」ような教育の時代は終わっています。しかし、残念ながらまだこのような指導を行っている教師がいることも事実です。そして、そのような教師は、子どものためにと思って一生懸命「教育」している熱血教師である場合があります。私も教師としてこのような先生を何人も見てきましたし、私自身も、若いときはそうだったのではないかと思ったりしています。

 現在、このような教師は熱血教師ではなく、暴力教師です。

 こう考えてくると、「教育とは何か」という問題は、教育現場では、教師一人一人のもつ、いわゆる「教育観」の問題なのかもしれません。とすると、「教育」は、その時々の時代や社会によって変わることを十分認識し、今の時代の教育のあり方をしっかりと考えていかなければならないと思います。そのためにも時代感覚を研ぎ澄まし、教育学を学ぶ必要があると考えています。

「きょういく」を漢字で書いてみよう。

 難しく考えるのも大切ですが、少し気楽に「きょういく」という言葉を、「教育」以外の漢字をあててみて、自分なりの意義づけをしてみると面白いです。皆さんは、いくつぐらい思いつきますか?

 「共育」「協育」は、教育現場でも目標にされますが・・

現場で結構見られる「脅育」
厳しい先生の「強育」
テスト漬けの「競育」

こんな思いの子がいるかも「今日行苦」

ぜひ、こうであってほしい「今日行く」

 自らの教育観を、このような遊びを通して考えて見るのもいいかもしれません。あなたの考える「きょういく」はどう書きますか?


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