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リモート授業と「ありがとう」の間で。


「人間は数十億年、コンピューターは数十年、
人間とデジタルデバイスの融合化は可能か」

【要約】
前半2段落は人間の適応というのは「自然」にあると私は考える。
デジタルデバイスとの融合化は可能なのか。
後半では「ありがとう」という言葉は、
デジタル的なありがとうとアナログ的なありがとう、ならば
どちらを選択したいか。を読者に問いかけたい。


こんにちわ、こんばんわ、北里明日香です。
わたしの投稿って大体が週明けが多いです。
理由はわかりません。
おそらく書きたいと思う人間的本能が週明けなのでしょう。
今日は全国各地で雨が降っていますが、
どうやら明日以降は世界が変わったかのように、
急に寒くなる模様なのでお風邪を引かぬように、
ご自愛くださいませ。


■ 人間の本質は「自然」



この時期は紅葉が見頃ですね。
キャンパス内を歩いていても、
紅葉が綺麗です。
また京都のほうではライトアップなどもあって、
毎年見に行ってはいます。
今年はあまりにも観光客が多そうなので、
検討中ですけれども・・・。


そういや、例のVirus騒動はどうなったのかというくらい
後期日程ではリモート授業が少なくなりました。
やはり対面での講義のほうが面白いのです。
当たり前なのです。
友達と会えたりするとか、一緒に学食を食べることができるとか
ワイワイできるとかですね。
私の一番の好きな雰囲気は、
大学構内の秋の澄み切った空気を感じることですね。
後期日程が始まった9月末〜10月前半からの緑の木々が、
11月にかけて紅葉に染まっていく様子。
その自然の中では温度や湿度、肌寒さ、空気の匂い、
雨が降れば雨の匂い。
秋晴れのときの開放感。
そういったものを感じるのです。


私が覚えている先生の名言?では、
ちょうど11月中頃のポカポカ陽気の時の講義で、
「外を見たらポカポカ陽気ですよ。
講義もいいですけど、キャンパス内の芝生の上で読書をするとか
友達と交流するとか、講義室もいいですけど、
1年でこんな日は自然の空気を吸う方がいいですよ。」
と仰っていました。
もちろんのこと当該講義を受けて、
太陽がガラスから木漏れ日のように肩を照らし、
気持ちよく講義を受けることができました。
また、その後は休講もあったので、
コンビニで昼食を購入して、
午後の紅茶でも買って、
好きな本を持っていって、
芝生で小一時間ほど読書をしたのです。
あ〜、なんてお嬢様なのでしょうか・・・(笑)。


■ 急な環境変化に人間の適応能力が問われる社会



冗談はよして、例のVirusは今でも蔓延しています。
もちろん現在も消滅したということは確定情報では
全くありません。
その中で登場したのが、
「リモート授業」・「オンライン面接」・「リモートワーク」
でした。
例のVirus騒動中は大活躍?!でしたが、
いまの時点ではほぼ無しに近くなっています。
ちょうど芝生の上で
「運動脳」アンデシュ・ハンセン (著), 御舩由美子 (翻訳)・サンマーク出版
を読んでいたところでした。


読んでいるとわかったことは、
「私たちの脳はデジタルデバイスが大の苦手」
そのとおりでしょう。
秋のポカポカ陽気の中で芝生の上で読書をしているときに、
気持ちが良いのです。
そんな中で、デジタルデバイスのスマホを多少は見ますけれども、
スマホで読書なんてしたくないのです。
ましてや、画面が見づらいです。

そこで考えたのです。
「リモート授業」などではどうしても
「自宅の部屋」が「大学・講義室」や「ゼミの教室」になる。
それは常に自宅のお部屋の役割が
大学の講義室の役割となるに等しいことです。
これは苦痛です。
社会学の役割理論の応用で考えると、
自宅の部屋=リラックスする場、
かつての例のVirusが流行る前に役割があったと仮定しましょう。
それが例のVirusによって、
自宅の部屋=大学の講義部屋・ゼミの教室部屋と変化するのです。

これはたまったものではありません。
会社ならば
自分の部屋=リラックス場

自分の部屋=会社のデスクの場
となるのです。
こうなると、四六時中、自分の部屋では会社のデスクです。
寝ている間も会社のデスクの役割です。
果たしてPCの電源を消したらリラックスできるのでしょうか。
私は無理だと思います。



■ 対人関係もデジタル化にしていった数年間



例のVirusは対人関係もデジタル化にしていきました。
先程述べたように、アンデシュ・ハンセン氏は
「人間はデジタルが大の苦手」と述べています。
デジタル化した人間関係は0 or 1です。
0か1の考え方なのです。
味方か敵か、正しいか正しくないか、有能か無能か。
デジタル的な考え方はこのように二者択一になりがちです。

そもそもデジタル的な考え方に感情は不要です。
なぜならデジタルなのですから、使えるか使えないか。
使えるならば、使う。
使えないならば、捨てる。
この間に感情も温もりも何もありません。0か1かです。
SNS社会で気に入らない人間が出たら
切るか残すか。
二者択一です。
これって怖いことではありませんか。
冷酷無慈悲に切り捨てられるのが、
デジタル的な脳です。

そんな中で、私はとある某スーパーでバイトをしていますが、
レジなので対面でのやり取りとなります。
客層などはややご高齢の方が多い。
もちろん主婦層も多い。
夜のシフトなら会社帰りの人が多いなどがわかってきます。
これは統計情報というより、私の感覚情報です。
午前中のシフトならご高齢の方が多いので、
どうやって来たのか、車なのか、徒歩なのか、
お連れ様がいるのか、そういった想像をして対応したりします。
ウチのバイトは袋詰め作業もします。
徒歩なら1つの大袋に詰め込むよりも
中袋に2つにして重さを軽減したりします。
そういったことはデジタル的な脳ではできるのでしょうか。

そんな中で、お客様に「ありがとう」と言われると、
やる気が出ます。
モチベーションのアップです。
その点、デジタルデバイスでAI君に、
「アリガトウゴザイマス」と言われても、
どうしてもやる気も何も出ないのは
人間として当然なのではないのかと思う次第なのです。


でわ。


北里明日香(Asuka Kitazato)
2022年11月29日
19時05分




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