●自主練は隙間づくり 稽古場で稽古をするな、のはなし●
皆様こんにちは、今井夢子です。
今日の写真はセビージャのLGBT映画祭にて踊った際の一枚。だらだらしてるわけじゃありません、踊り出しのMを待つスタンバイのポーズです。寝てません、決して。
さて。私がスペインセビージャで現在メンバーとして働いているフィジカルシアターカンパニーSENNSAの演出家は、度々言います。
「自主練をしろ」と。
先日「ハムレット」の初日が無事に開け、今リハーサルをしている2作目のレパートリー作品は、ギリシャ悲劇「バッコス」を題材にしたもの。
どちらの作品も、たくさんのムーブメント・ダンス・セリフ・歌、そしてそれらを繋ぐ膨大な膨大な膨大なマークで出来上がっています。
マークとは?日本ではキッカケとよく言います。
「このセリフを言ったら、歌い始める」
「音楽が止まったら、この動きをスローモーションにする」
「この動きが始まって4秒待ったら、最速スピードで移動する」
この、「○○したら」の部分が、マークです。
これがもう本当に細かくて、セリフの単語単語にマークが割り振られていたりするわけです。
「生きるべきか(皆で走り出す)、死ぬ(一斉に立ち止まる)べきか(歌い出す)、それが(ポーズをとる)問題だ(全員同時に言う)」
みたいな感じですね。
これは日本でもそんなに珍しいものではないですし、自分で作品をつくるときも、厄介なマークを俳優に割り振るのが結構好きだったりします。
なにを印に動いているのか観客にはわからないのに、俳優の動きがピッタリそろっていたりするのは、めちゃめちゃカッコいい!SENNSAの手法の中でも好きな部分です。
が。
そう。
おなじみの。
スペイン語分からない問題。
マークとなるセリフの単語が、キャッチできない!
全てのマークが頭に入っていたとて、その単語がいつ発語されているのかを、聞き取ることがなかなかできないのです・・・。
なので、私としては全員で稽古をして、全体の景色とリズムで、マークを把握していきたい、という思い。
しかし、演出家は言う。
「マークを覚えること、テキストを覚えること、ムーブメントを覚えること、これらは私とのリハーサルですべきことではない。リハーサルが始まる前に、やっておいて」
ええ。もっともすぎて、ぐうの音も出ません。日本でも当たり前のことです。稽古場かくあるべき。ハイ、自分が外国人だからって、甘えてはいけませんし、甘えさせてもくれません。
そんなわけで作品稽古が始まってからの前半戦は、演出家はトレーニングを行うのみ、シーンのリハーサルには現れず、長年在籍しているメンバーの仕切りで、新メンバーが作品を覚えていく作業。
しかしこれも、他にもやることが膨大なので、猛スピードで進む。
「このマークであれして、このマークでこれして、こうだから!じゃあやっといて!」
みたいな感じ。
情報は確かに得た。しかし。
知ってることと、出来ることは、全然違うのやでーーーーーーーー!!!!!!
と心の中で叫びつつ、なんとか聞き取ったマークを書き込んだ台本を手に、度々呆然と立ちつくす私。
「ハムレット」稽古の序盤は、吹雪の山奥に一人取り残されたような気持ちでありました・・・・。
マジで、稽古場で右も左も言葉もわからず、文字通り立ち尽くす私、というイメージが、バーンと浮かびました。
びゅおおおおおおおおお(吹雪)
なにこのイメージ!
こんなの本番前の悪夢でしか見ないやつ!
あの悪夢が、現実となって近づいてくる!!はっ!振り返ればそこに・・・っ!!!
こっっっっっっわ!
というわけで「自主練して」と演出家に言われるまでもなく、自主練しなければなにひとつリハーサルで動けないだろうという状況が迫ってきたわけです。
稽古時間外にもスタジオに赴き、自主練自主練自主練・・・。
結果、スタジオに毎日誰よりも早くいるわたくし。
「ユメコは真面目だね、やっぱり日本人だね」とか言われたりもしたが、違うの、真面目にやる以上にやらないと、あなたたちの不真面目にすら追いつけないの!
あまりにひとりで練習しているので、見かねた仲間が「もっと頼っていいんだよ?私と一緒に稽古する?」と言ってくれるが、あれなの、自分で稽古してからでないと、一緒に稽古する土俵にすら立てないの!
最初の1か月ほどは、そんな日々でした。
おかげで今は、「ユメコ、ここのマークはなんだっけ?」と仲間に逆質問されても「お前ら母国語だろおおおおおおおおお!!!!」と思いつつも、回答OK!
やればやるだけ、もちろん出来ることは増えます。
でも、やればやるだけ、やるべきことが増えていくのも芸術だと思います。
自分がもしもスーパー天才俳優だったら、マークを意識しながら即興でムーブメントを作りながら役の身体性をキープし続けつつ、新しいアイデアを提案する、というようなことができるのでしょうが、残念ながら私はまだまだそんなマルチタスクを持っていないので、隙間づくりをしていく必要があるのです。
やればやるだけ増えていく、新しいやるべきことに、その場その場でトライしていけるように、新しい発見を増やせるように、やることやって、自分の中に隙間を作っていくことが、結果自分のためになる、と痛感しています。
自主練は、ガチガチ詰めこんでいく作業のようでいて、実は隙間づくり。
散らかった本棚を整理して、新しい本を入れるスペースを作るようなことなのかもしれません。
出来ることが増えるたび、「ああ私の中の風通しが良くなったんだな、よしよし」と感じられるようになったら、しめたもんだなと思いながら、今日も自主練行ってきます◎