痩身の苦
「痩身」というと減量する方向性のダイエットを思い浮かべる人も多いと思うが、これは図らずも短期間に体重が減って苦しかった経験を書いたものなので、減量成功談を期待して開いた方は閉じてしまってほしい。この記事は私が痩せたことによる身体的な感覚の変化に驚いて記録をしたものであるので、ある人にとっては神経を逆なでするものであると思うから。
原因ははっきりと分からないが、メンヘラに激詰めされていた時期や就活、両親の別居が重なって、4か月ほどをかけて7㎏ほど体重が減った。これは私の元の体重の15%ほどに相当する。BMIは16くらいまで転落して、そのころには露骨に寒さや疲れやすさや、自身の体の頼りなさを感じるようになった。これでも第一線で活躍する芸能人やアイドルと比べると健康的な方なのだから、彼女たちが命を削って働いていることを思うと気が遠くなる思いがする。
それまでの私はダイエットこそすれ、体重を増やす方に努力した経験など一度もなかった。そもそもこれほど体重が減った時期も、消耗した精神からくる怠惰に打ち勝つべく、せめて肉体の健康を保とうとして運動とプロテインの摂取は心がけていたのだ。もはや何を頑張れば元に戻れるのか分からなかった。
27度の冷房が寒かった。階段を上ると、前腿の筋肉が張って、一段下に残された半身を引き上げるときに、体の軸がブレて転ばないようにと注意していた。祖母からもらった革の鞄は物がいいために重く、胴にしっかりと沿わせて持っていないと鞄に振り回される感覚があった。食事をすると疲れた。人間はエネルギーを吸収するためにもエネルギーを使わなければいけないというのが感じられて、途方に暮れる思いだった。運動をすると、鎖骨下から首筋に沿って耳の後ろまでの皮膚から、ぶわっと汗が滲みだす感じがする。こうした一部の身体的な感覚が以前よりずっと鋭敏になった。
骨が見え髪が抜けるような変化はなかったが、確実に両の太ももの隙間は大きくなったし、手首を掴むとぎりぎり親指と人差し指が触れ合うことができた。持っていたすべてのボトムスのウエストが緩くなり、ベルト穴のついているものを選んで買うようにしたにした。しかし、身体的には不健康になったのに関わらず、自分の見た目の変化に関しては特別強い嫌悪感を持たなかったことも驚きだった。長年メディアの痩身信仰にさらされ続けて、自分ではそれに抗う気持ちもあったはずなのに、やはりどこかに刷り込まれていたように思う。
筋肉を落とさないように注意していたこともこれには関係するかもしれない。朝にアドレナリンを出して起きれるように、と軽い筋トレは続けていて、体重は減ったものの特に大胸筋に変化が出て下着のサイズも変わってしまった。現実の女性の胸を性的なものとして扱いたいわけではないが、私は少しでも健康で強靭な肉体を手に入れたいだけなのに、全身は衰えたままなのに、女性らしさのシンボルとも考えられている胸ばかりが否応なく丸みを帯びるので不気味な感じがした。なぜ全体的な胸囲が大きくなるのではなくてカップが変わってしまうのだろう。少しタイトなシャツを着たときの、筋肉質な男性の胸周りの布の張りなどは、いやらしさもなく清潔で健康なように感じられるのに、なぜ私の体は前に丸く張り出してしまって下着で支えてやらないと痛みすら伴うのだろう。いくらでも他に肉のつくべき場所はあるのに。そして本来胸だってどこだって私の健康な身体の一部であり、こんな風に感じる必要もないはずなのに、私に刷り込まれた身体的なイメージのすべてがなんて厭わしい。
就活などから解放されて、また食べることを特に努力して以降は体重が数㎏戻って、少しは体力も戻ってきたように思う。帰宅してからもベッドで小休憩をしてから動き出す必要がなくなったし、なんとなくすべての運動、歩行や立ち上がるなどの基本的なことでも、負担感が減った。慣れてしまっただけだろうか。
今は無理なく食べれる分しか食べていないけれど、タンパク質の摂取量などを計算していたころは苦しかった。もともと食べ過ぎると吐きやすい体質ではあるため、食べきると決めた量を強いて飲み込もうとすると反射的に涙が上がってきて、泣きたいわけではないのにつられて泣きたくなる。食べることに純粋な感謝と楽しみの感情を抱けないことに罪悪感があった。体重が減っていった時も食べる量が極端に減っておらず、ストレスのせいで吸収できない量が増えていたのだと思うので、こんな効率の悪い体を通過して汚物に成り代わらなければいけない食べ物たちに対する申し訳なさがあった。
ようやくその段階から脱することができて安堵感がある。少し食べたくらいでは疲労感はない。肩や前腕にも筋肉がついてきて、自分の体は正常な変化を辿っただけと言い聞かせていたことが確信になった。肉感の増した太ももには以前より特別感がなくて残念ではあるが、私を力強く歩かせてくれることに感謝している。