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五穀豊穣の願いと。

こんにちは、こんばんは、おはようございます。

6月に入り紫陽花がとってもきれいで
歩いていても色んなところに様々な紫陽花

そんな景色を眺めながら歩くのが最近の楽しみです。

お家の近くの紫陽花


今日は本当に単なる独り言です。


遠い昔の何かを、なぜか頻繁に思い出す。

でもすごーくそこに感動的な裏話があるわけでもなく
ものすごーく幸せでもう、最高!でもなく
奥歯をギリギリギリってするような悔しい事でもなく
うわんうわん涙を流すような事でもない

でも何故か残っている

と、いうものって皆様ありますか?


中学生の頃、姉妹都市であるフロリダ州ペンサコーラ市との交換留学制度があり

何日間か希望者で行くという機会があり
ありがたい事にそれに参加する事ができました。

そこで、現地の学生さん達に日本文化を紹介する時間がありました。

そこでは確か歌を歌った?り?←うる覚え
剣道部の子が剣道をデモンストレーションしたり

あとは

なんというか…
地元の五穀豊穣を願う祭りで行われる

鐘を打つみたいなもの…??
をしました。


その鐘うち?を地元の大人達が教えてくださったのですが

名前あってるのかな…鐘うち?
名前の詳細不明
(調べても不明でした。このあたりは記憶が薄れ、もくうっすらという曖昧なものですが)

その鐘を打つ練習の掛け声が


『でーん、でーん、でこでこでん。でんでんでんずく、でんでんでん』

『でこでこでっとーしょ、ひんぎょー』

というようなフレーズがありました。

でも
でんでんでんずくの時も
でんでんでんも

同じリズムでたたいていたような…?


なんで、でーん、でーんなんだろう。
でんは田んぼの田?

でこでこでんってなに?

え?

ひんぎょーという掛け声
何故に ひんぎょー?

ひんってなに?
ぎょーってなに?

ひん、ぎょー?なのか
ひんぎょーなのか
ひ、んぎょー?

と、当時から素朴な疑問を抱いていたのは覚えているのですが
何故そうなのかを聞いたのか聞いてないのかはもう忘れてしまっていて

学校終わりの夜の時間
大人の方々はお仕事が終わってから、ボランティアで子ども達のために教えてくださっていたはず。


大人がちょっと怖かった。という記憶

これも今思うと、その五穀豊穣を願う神聖なるもの。
その伝承されてきたものを、真剣に子供達に伝えようとしてくださっていた。

しかし、子どもの頃はそれを理解する事も、想像する事すらもできず

怖いよう。と、ビクビクしなら
怒られないように覚えた記憶がうっすらとあります。

しかしその光景より耳に残っているのは


あの掛け声


でーん、でーん、でこでこでん。


これが、今でも歩いていると
手のふりと共に

ふと思い出されるのです。


坂道で
でーん、でーん、でこでこでん。

紫陽花を見ながら
でーん、でーん、でこでこでん。

もうすっかり緑になった桜並木を歩きながら
でんでんでんずく、でんでんでん

横断歩道でとまって
ひんぎょー!


思い出してクスッとなって、ふと口に出してしまう

ひんぎょー!


そんな思い出しフレーズ。


きっとなんて事のない日常の耳に残ったフレーズ

あの時過ごした時間を
うっすらうっすらと思い返したり
思い返さない時もあったり

人の記憶というのは曖昧で
とくに私は記憶は短期ですぐに忘れてしまうのですが(だからメモ必須)


でも、こうして25年以上前の事が
自然にすっと今の日常に溶け込む感覚

その当時そんな未来を想像したのだろうか。
いや、できるわけもなく
きっと必死にでこでこでんしていた。

想像もしない未来が今の先にあって

楽しい事も
悲しい事も
幸せな事も
なんて事のない日常も

重なった先の未来

人とひととの出会いや、色んなエッセンスが重なり合って織りなす景色

私はいつまでひんぎょーを覚えているのだろう。
私はいつまで、でこでこでんを歩くながら思い出すのだろう。


でもふと思い出すこの瞬間がわりと好き。
過去に縛られるでもなく
昔に戻りたいでもなく

なんだかふわっと懐かしさと共に笑顔になる感覚。


今この時を
味わい尽くし
繊細に受け取ったり
繊細に感じながらも時に受け流したりしながら

そんな毎日を過ごしたいなぁなんて思うのでした。

でーん、でーん、でこでこでん。
ひんぎょー!


imaiami


あぁ、やっぱりあれを言わないとしまらない感

shanti shanti shanti
いつもありがとうございます。
独り言に最後までお付き合いくださった優しさに、感謝❤️

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