妄想の葬式
私は度々【死にたい病】にかかる時がある。
それは本当に命を絶つような準備をしたり、リストカットのような自傷行為をするわけでは無い。
ただただ【死にたい】と強く願う。
この世の不条理からいち早く抜け出し、痛み無く、苦しまず、愛する人に囲まれて清潔なベッドの上でスーッと息を引き取る…。
そして自分の葬式を頭に思い浮かべる。
ここまでが【死にたい病】のワンセット。
今回は私が【自分の死亡日時を設定し、神様に楽に死ねるようお願いをした時のお話】
私は小学三年の頃から生きる事に夢や希望を抱くことを諦めた根暗な子供であった。
原因は当時学校でイジメが大流行していたことと、親父がDVクソ野郎だったことと、母が障がい者であったことに深く関係している。
私は物心ついた頃、足の不自由な母に注がれる他人の眼差しが、人より多いということに気付いた。
普通の視線ではない。
好奇の眼である。
それが本当にイヤでイヤで、母と外出することが非常に気重だった。
まれに優しい人の心遣いに触れることもあったが、それはほんの一部の人。
たいていの人は好奇な一瞥を投げるだけ投げてスルー。
タチが悪いとヒソヒソ話を始めたり、こちらが立ち去るまでジーッと見ていたり、偽善者が親切の押し売りをしてきたり、ひつこい宗教の勧誘にあったりした。
とにかく外出する度に居心地の悪さを経験した。
しかし逆にそれらの視線を跳ね返し、偽善を見抜く母の盾にならなければいけないような責任感もあった。
おかげで高倉健のように無口で眼光鋭い女児に育ち、友達もほとんどいなかった。
そんな幼少期を過ごし、ウチは普通の家庭とは違うと理解し、母の不自由な思いや悔しい思いを側で見ていたら、こんな窮屈な世界で生きているより、死んだ方が楽…という思考に陥ることが増えていった。
だから死に対する興味や憧れが強くなり、夜寝る前に自分の葬式を妄想し、現実逃避する悪癖を作ってしまった。
参列者の少ない質素な自分の葬式でも、めちゃめちゃ悲しくなってきて涙を流す…そんな妄葬式を幾夜も繰り返してきた私に…数年前、1番ヘビーな【死にたい病】が襲ってきた。
当時の私は『募集内容とえらい違うな…』と思った職場を、やっとの思いで辞めてニートになっていた。
時はコロナが流行り始め再就職するにも難しい時期。
そんな最中に自ら無計画にニートを選んでしまった。
再就職と経済的な不安以外は人間関係もフツー、パートナーとの関係もフツー。
この不安とフツーと暇な時間が混じり合うことで私の頭はおかしくなってきた。
普通?
ふつう?
フツー?
これからも私はフツーに毎朝通勤電車に乗り、フツーに朝から晩まで生活の為に働き、何の特技も無く、生活に潤いを与える趣味もなく、大きな挑戦をすることもなくフツーに死んでいくのか?
このような問いは誰にでも訪れる【あるある】だろうし、私も何度も自問自答をしてきた。
今回はそれに加えコロナ?フツーがフツーでなくなる?もう仕事できないの?お金無くなっちゃうの?
コロナのおかげで私のマイナス思考は倍速で加速していった。
そしていつもの【死にたい病】に移行し【このまま生きていても】というフレーズが何度も浮かんできて【自分に価値なんて一つもねぇ〜わ💡】というドンピシャな答えに落ち着いた。
この先もアタシに価値なんて、びた一文つかねぇ〜よ💢
これからも生活の為に社会の歯車として馬車ウマのように働いて、コロナに怯え孤独に干からびて死ぬ…
そうそう、私に明るい未来なんて無いのよ❗️
アハハハハハハハ💔
乾いた心のオバハンは、恒例の妄葬式を何度も執り行い寝たきりの日々を過ごしていた。
が、そんなある日、我ながら良い考えを思いついた💡
そうだ❗️…死ぬ日を決めよう‼️
死ぬって目標があれば頑張れる‼️
そうだ❗️死ぬ予定日‼️死亡日時を決めたらいいんだ‼️
アハハハハハハハ❤️🩹
病んでしまった40半のJJ(熟女)は数年前の真夏の夜、こんなことを真剣に考えていた…。
つづく
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