不登校になってからちょうど2年〜11月15日は不登校記念日〜
鬱と診断されてからもうすぐ3年になる。
2022年1月に診断を受けて、すぐに休職せず、その年の11月15日、ついに限界が来て行けなくなってしまった。
もはや、まともに働ける状況ではなかったが、誰1人「休んで良いよ」とは言ってくれなかった。
診断を受けた時点で教頭や校長にも相談していたし、学生主任にも伝えたが、どこか他人事で対応は冷たかった。
主任や副主任からは、度々注意され、呆れられ、学年会では半分無視されたような冷たい雰囲気を感じた。
自己嫌悪に陥り、学校へ行くのが辛くなり、どんどん追い込まれていった。
朝早く起きて、遅刻しないように出勤し、夜遅くまで仕事をする。
シングルマザーとして自分が稼いで幼い2人の息子たちを育てると決め、教員になってから20年あまり、当然のようにしていた事が、今は、とてもできる気がしない。
なぜ、それができていたのかすら不思議になる。
今は、毎日決まった時間に起きて、決まった場所に「行かねばならない」事がとても苦痛なのだ。
だから、全ての学校へ通う人たち、仕事へ行く人たちがすごいと思う。
世間的には「当たり前」かもしれないけど、それって本当はすごい事だったんじゃないかって思う。
感覚が鈍っていたというか、麻痺していたような気がする。
「嫌だ」とか「辛い」とかを感じてしまったら、仕事に行けなくなる。
仕事しないとお金を得る事ができないから、生きていけない。
子ども達のために頑張れたというのはある。
だけど、元々「学校へはいくものだ」「大人になったら働きに行くものだ」という常識🟰思い込みが刷り込まれていた気がする。
「本当はどうしたい?」を、自分の心に問うたところで、現実とのギャップに苦しくなるだけだから…
そうやって、自分の心の奥底に長年沈めてきた「本当の気持ち」を、今、頭で解釈するのではなく、身体で感じる訓練をしている。
どんな感情も、自分の一部であり、良い悪いはない。その存在を認めて感じて寄り添ってあげる。
私は、息子たちが学校へ行けなくなった時、動揺し、そこに寄り添ってあげる事が出来ず、無理やり行かせようとしたり、どうしたら行けるようになるのかばかり考えていた。外にばかり目が向いていた。
でも、本当に大切なのは自分の内側の心の声を聴くこと。
「行きたくない」という気持ちを感じて寄り添う事。
それまでずいぶん置き去りにしてきたたくさんの感情を、まずは感じてあげて、そう感じても良いと許可してあげる事。
過去に戻ってやり直す事はできないけど、私は今、ようやく、それを自分に許可できるようになってきた。
ここまで来るのにはとても長い時間が必要だった。高速で回転していた羽車が急に止まれないように、焦れば焦るほど、クルクル回る羽車の中で、カラカラカラカラ空回りしてしまい、謎にスケジュールを埋めてしまうを繰り返しているうちに2年が過ぎてしまった。
今でも私の中には「焦り」がある。
だけど、その感情に飲み込まれるでもなく、押さえ込むでもなく、ましてや見て見ぬふりをするのでもなく、まずは「ある」と認めて、じっくり感じて、「焦ってるんだね。焦るよね。」と、寄り添う。
謎にスケジュールを埋める事はやめようと決め、(何度目だろう?笑)外に向いたベクトルを自分の内側へ向けると決めた。
今がその時。
それができる事に感謝して、じっくりと感情に向き合おうと思う。