【 映すために描く、伝えるために描く】
わたしがグラフィックを使ってビジュアライズする時、目的によって描き方を変えていることに気が付きました。
「映す」のか「伝える」のかです。
映すために描く
グラフィックファシリテーションや、ストーリーレコード(自分語りを描く、たまかつを描くこと。なんかいいネーミングないですかね)といったシーンでは、発話した本人の頭の中にあるものを紙の上に留め、本人が自分の発話を客観的に眺めることができるように描きます。なるべく本人が言ったままの言葉を使い、話の中で繰り返し出てきた言葉もなるべく同じ数描きます。絵がごちゃごちゃしててもよくて、それは話もごちゃごちゃしていることを映します。私の解釈による概念化、省略化を極力減らします。描く枚数も増えます。レイアウトもあるかないかわかりません。(この辺は無意識)
伝えるために描く
グラフィックレコーディングや、グラフィックファシリテーションの再まとめ(やまざきゆにこさんの言葉を借りると“絵巻物をつくる“)では、絵を見た人の中で語り手に見えている世界が再現されるように描き直します。繰り返している言葉は、文字の大きさや描く位置、使う色で強調します。繰り返される言葉は、本人の強い主張であることが多いからです。枚数も減ります。解釈違いが起こりやすいところでもあるので、なるべく話し手に描いたものを見てもらい、違和感があるところはないかを確認します。
このときの出番が「具体と抽象」です。抽象にある語り手に見えている世界を、伝えたい相手が展開しやすい具体に置き換えて(アナロジー)描くようにします。
ここに書いたことはまだ自分で出来てないことも多いですが、描く時に意識していることっぽいと思って置いておきます。