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連載(44):人類の夜明|奉仕世界の教育「国民自由学校(自由教育制度)」

この記事は『かとうはかる(著)「人類の夜明」』を連載しています。

国民自由学校(自由教育制度)

さて、教育も政治も文化も経済の背に乗って発展していくといいましたが、その経済は教育に支えられ進展していくのです。

その意味では、この両者は相互補完関係にあるといえるでしょう。

したがってこの世界の教育は、大人になってからも続けられるのです。


今日の社会では、仕事から完全に解放されるのは希です。

朝早くから夜遅くまで、企業戦士は仕事に追いまくられ休む暇もありません。

家に帰っても仕事が頭から離れず、まんじりとも休めません。


どうしたら仕事が貰えるか?、どうしたら売上が伸ばせるか?、どうしたら利益が上げられるか?。

会社の業績が気になり、自分の成績が気になる。

まるで仕事の奴隷です。


奉仕世界では、労働に対する姿勢は今以上に厳しいかも知れませんが、一旦職場を離れると完全に仕事から解放されます。

ある程度のノルマはあっても、利益追求の必要性がないから、成績が人を悩ませることがありません。

また、労働力が豊富な上にキッチリした計画生産体制が敷かれているから、よほどのことがない限り残業はないでしょう。

したがって労働者は、今日とは比べようのない自由時間がもてるのです。

その自由時間は一体何に使われるでしょうか?。

もちろん、息抜きの娯楽に、旅行に、家族の団欒に使われるでしょうが、殆どの人は自己挑戦に使うのです。

自由教育制度は人間の可能性を啓発し、埋もれている才能を発掘しようという、奉仕世界ならでのユニークな教育制度ですが、それを一般向けにしたところに大きな意義があります。


私たちは一旦社会へ出てしまうと、生活に追われやりたいこともやらずに一生を終えてしまうものです。

なかには、そのまま埋もらせてしまうには惜しい才能の持ち主もいます。

その才能を発掘し、さらに磨きをかけ、花咲かせようというのが国民自由学校の目的なのです。

挑戦課題は多々あると思いますが、中でも精神開発の挑戦、やり残した学問への挑戦、スポーツ、芸術、趣味などの挑戦は多いでしょう。

それを国は、国民自由学校という場を提供することで、国民の意欲に報いようというわけです。

ここで磨きをかけた人たちは、成果を試す発表会に挑戦でき、その発表会で認められれば、人生行路を大きく変えることも夢ではないのです。

どこまでも夢を与えてやるのが、奉仕世界の教育の誇りなのです。


教育について私の考えを述べさせてもらいましたが、まだまだ舌足らずです。

といって、あまり時間をかけては外の話ができませんので、教育の詳細についてはあらためて機会を見つけて話すことにしましょう。

(つづく)

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