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軽度ビジュアルスノウだとわかるまで

タイトルに「わかるまで」と書いてあるが、あくまでも自己診断だ。でもたぶんそう。自分の病名らしいものをネットで見つけたとき、どこか安心した。それまでがとても辛かったから。

私、目が見えなくなる…?

小学生の頃から飛蚊症に悩まされてきた。私の親は極度の心配性だったから、悩み事をなかなか話せなかった。新聞で見つけて、これは飛蚊症なのかもしれない、と納得した。

中学生になってから遠くの景色に小雨が降っているようなモヤを感じて不安になった。追い打ちをかけるように、豆電球がチカチカするようなコントラストの変化を感じ始めたとき、「私、このまま失明するのでは」と絶望した。朝起きたら見えなくなっていることを恐れ、眠るのも怖くなった。

異常なしですよ

そんなことを悩みながらも、意外と大丈夫なものだった。失明は無さそうだ何となく感じかながらも、不安な気持ちは相変わらずだった。
高校2年のとき、やっと親に相談して病院に連れて行ってもらった。MRIとか色々な検査をしたが、異常なしだった。とりあえず医学的には大丈夫なのだとわかってよかったが、だからといって目の症状が治る訳でもない。

ビジュアルスノウ、、?

この名前をネットで見つけたのはたしか高校3年生のとき。これだ!と思った。私の症状とぴったりだった。そして私の場合、そこまで重症ではないこともわかった。

私にとって本当の弊害だったこと

軽度なの?なら良かったじゃん。そう思うかもしれない。たしかにそうだ。
だけどビジュアルスノウは私にとって決定的な悪影響があった。それは「将来への希望」をじわじわと奪ったことだ。
ビジュアルスノウのせいというか、なかなか相談しなかった自分のせいでもあるのだけど、私は将来を想像することを過度に恐れた。中学生のとき、「大学生になったら失明してるに違いない」と思いこんで大学より先を考えようとしなかった。  
当然ツケは回ってくるわけで、大学受験で行きたい大学を見つけるのに苦労し、就活でやりたいことがわからなくて今も苦労している。

過去に囚われるな


だけどわかってる、これは言い訳のひとつだってこと。未来はいくらでも切り開けるってこと。
未来が見えなかった過去も、一人で思い悩み絶望していた過去も、過去は過去として置いていけばいい。
そして前を向いて生きていきたい。ビジュアルスノウとも上手くやっていくのだ。これまでもそうしてきたように。

大丈夫。そう言い聞かせる。
気になれば気になるし、気にしなければ気にならない。悩みも、ビジュアルスノウも、そんなものだろう。

このnoteを公開したら、私は前に進む。
そう決意して私はボタンを押す。





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