時折の虚しさを伴う一人旅。
神戸に引き続き、今度は福岡を一人旅してきた。
僕の中でこの二つの街は揺るぎない地位を誇っている。
洗練と喧騒と安らぎの全てが存在しているし、その調和が保たれている。
神戸の旧居留地、福岡の天神地下街なんて何度行っても心がトキメキで満たされる極上のエリアだ。
ディズニー、ユニバに匹敵するくらいに。
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だが現に通勤通学やショッピングの際に、そこを生活圏内とする人々は確かに居る。
会社員や学生、ベビーカーを押す家族、喫茶店で談笑する買い物帰りの親子。
街の中心地に息づく人々の生活感は、神戸福岡のほうが東京大阪のそれよりも遥かに多く見られる気がする。
努力に努力を重ねた大人のみがその環境を手にし、それを維持できるのだろう。
そこで生まれ育った子供世代は知らず知らずのうちに洗練されるだろうし、高校卒業までに豊かな感性を育むことができると思う。
全くもって羨ましい。
そりゃあんな街で育てられたら洗練されていくに決まってるよ。
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一人旅は間違いなく視野が広がる良い経験になる思う。
計画から実行までの全てを自力でする訳だから、当然行動力やある種の図太さも身につくはずだ。
けれど、好きな街を旅しているとふとした瞬間に虚しさに包まれる。
眼前に広がるのは喉から手が出るほど欲しい暮らし。
叶わなかった過去。
叶えられなかった現実。
叶える道筋が見えない未来。
思いを吐露するほどに絞まるのは自分の首。
自己責任、自己矛盾。
後悔先に立たず。
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今読んでいる本には『断念』こそが最も重要だと説かれている。
僕にはそんなことできそうにない。
「こんな退屈な環境でくたばってたまるか。」
そんな感情が日々の原動力になっている。