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遺書のような惚気のような。

前回の記事から随分と間が空いてしまった。

ついでに言うと、毎日書いていた日記も2ヶ月近く書いていない。

何となく文字を綴る方向に身体が動かなかったのだろうか。

強いて理由を挙げるなら、急な惚気にはなるが、4ヶ月程前から交際を始めた女性と過ごす日々に心が満たされているからだと思う。

初々しい若者の青春的な文脈の充足感というよりも、共に過ごす中で人間関係を双方向に深め合える充実感に幸せを感じている。

しかしながらその充実感ゆえなのか、日々の感情や思考の揺らぎに鈍くなっている気もする。

前向きに捉えるなら満ち足りた日々、後ろ向きに捉えるなら感性の劣化。

お互いが過去を経てそれなりに成熟しており、視野が狭くなって恋に恋するような状態にはなっていないけれども、所詮は交際歴4ヶ月弱の20代男女であり、今感じている充実も新鮮さによるところが大きいのかもしれない。

一人でいる状態に戻りたいとは決して思わないけれど、あの頃感じていた”生身の自分を生きる実感”のようなものを懐かしむ気持ちは確かにある。

一般的に孤独や寂しさは”死”に近い場所に存在する概念であると思うし、反対に恋人関係や信頼関係によって人は”死”を感じにくくなると思う。

けれども、孤独だろうが素敵なパートナーが傍にいようが人は等しく”死”と隣り合わせであり、恋人関係や信頼関係によって得られる充実感はその”死”の感覚を麻痺させる。

そこを忘れたくはない。


✳︎


人は然るべき時に然るべき人と出逢えるとは言うけれど、それは確かな真実だと思う。

性別や年齢を問わず、これまでの人生で経験した貴重な出逢いに感謝して、逢うべき人に逢えている今の幸せを噛み締めたい。

そして、この場を借りて伝えたい。

ありがとう。



しかしながら、僕はまだ何も成し遂げていないし、必ず叶えたい長期的な目標も幾つかある。

まずは第一線で役に立つ医師になること。
そして何らかの形で神戸か福岡に移住すること。
などなど…

一人でいるときに感じていた「こんなところで歩みを止める訳にはいかない」という台詞を、今の自分にも同じくらい切実に言い聞かせる必要がある。

遠回りの人生を着実に。

今後もたまには文字を綴りたい、そんな秋の日。

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