田舎で育つということについて。
『泣くな研修医』にこのような一節があります。
いかにも田舎の、センスとか洗練とかいう言葉がおよそ似つかわしくない停滞した建物に、鹿児島弁丸出しの売り子たち。
この空港こそが、自分の出身は田舎であり、中央とはかけ離れた場所にあるのだというメッセージになっている。
これは、鹿児島にあるさつま揚げ屋の実家に主人公が帰る場面の描写です。僕も田舎の出身であるため、非常に共感しました。これを機に、田舎に生まれ育つことについて僕の考えを記そうと思います。
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まず僕のスタンスは、「田舎で育つことは圧倒的にデメリットしかない」と考えています。
「生まれる土地が違ったらどれほど良かっただろう」と、僕も時々思ってはその度にその感情を打ち消してこらえています。ですが、"生まれた土地"よりも"育った土地"が問題なのです。
では、僕の思う田舎のデメリットは何か。
それは、全てが低水準であることです。
大手の百貨店がないとか地下鉄がないとかなどの"街づくり"は勿論、"文化施設"、"人々の文化・思考"、"気候"など、全てにおいてのクオリティが低いのです。
"街づくり"は生活の物質的豊かさに直結しますし、"文化施設"は人々の教養や精神的豊かさに結びつきます。それによって、"人々の文化・思考"が決定づけられます。"気候"については良し悪しの判断が難しいですが、歴史的に気候がよいところに人々は街を築くと考えられるため、大体の田舎の気候は最悪です。
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このような田舎で育つ(特に中学・高校時代)とどうなるか。その後の道は2つです。
・田舎のマインドに支配され、閉鎖的な世界で偏った思考の人々と暮らすが、本人は全く問題意識を持たずに満足感を味わっている。
・田舎のデメリットに気づき、大学や就職先を都市部にするが、都市部育ちの人間に対して劣等感を抱き、越えられない壁や埋められない溝に直面する。
どちらが良いかは人それぞれですが、第三者的に俯瞰で見るならば後者が良いことは明らかでしょう。
このような論議になると必ず、「それでも田舎には良いところがある!」と叫ぶ人がいます。その発言の意図が田舎で育つことに対して向けられているのならば、それこそが田舎マインドに染まっている証拠です。
10代というのは、その人にとって"あたりまえ"な価値観が形成されて、内と外との明確な境界線が引かれる唯一の期間です。その期間を田舎で過ごすことは、20代で人生の基礎を築くにあたって大きなディスアドバンテージとなります。それを推奨する行為は視野の狭い田舎マインドとしか言いようがありません。
乳幼児期の子育てや、リタイア後の第2の人生を田舎で過ごすのであればメリットもあるかもしれません。しかし、"田舎で育つ"ことには将来性を考慮すると何のメリットもありません。
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田舎で育つ側がいれば、田舎で育てる側もいます。田舎というのは何故か"一軒家を建てて一人前"みたいなアホらしい習慣が根強いです。実際、僕の中学・高校時代の知人は大半が一軒家住みでした。
家を建てれば(買えば)簡単に移住することが出来ず、広い世界を知るチャンスを捨てることとなります。のみならず、自分の子供を田舎に束縛するリスクが高まります。(田舎マインドの人はそもそもリスクだと気付かない。)実家の存在が土地ごと購入した一軒家であると、潰す訳にもいかずに子孫が土地に縛られることになります。これは明らかにリスクです。
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僕は田舎で生まれ育ち、明確な問題意識を持つのが遅すぎました。ですが、田舎マインドに支配されるか否かの選択権は持っています。自分の子や孫を田舎育ちから脱却させるために、僕はこれからも都市部育ちの人間に負けず劣らずのスキルや思考を追求していきます。