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吉祥寺の吉祥寺っぽくない美容師
吉祥寺の一角に佇む、かつて通い詰めていたお気に入りの美容室で髪を切ってもらった。一年ぶりである。いつも担当してくれていた店主は僕のことを覚えてくれていた。「久しぶりだね」と店主は不器用な笑顔を浮かべ、僕を迎えてくれた。
オシャレな街でオシャレな内装で若いスタッフたちに囲まれながら、相変わらず僕たちは漫画の話しかしなかったし、相変わらず店内の雰囲気に不釣り合いとも言えるほどの不愛想な表情で、彼は僕の髪を切った。
この一年間、僕は知り合いが勤める銀座のお店でカットモデルとして髪を切ってもらっていた。彼女がアシスタントを卒業するというので、何度か正規料金で切ってもらった後、もう一度あの店であの人に切ってもらいたいと急に思い立ち、吉祥寺のこのお店に来た。
もちろん、銀座の美容室が中々値段の張るものだったという理由もあるが、僕はこのお店のこの不愛想な店主がすこぶる気に入っていたのだ。
「今日はこの後何するの?」と訊いておきながら、丁寧に答えると、「ふーん」と全く興味なさそうな相槌を打ち、大して話を広げる素振りすら見せない。そんな投げやりで、不器用で、この街の色に染まらない彼の腕は確かだったし、べらべら話しかけてくる美容師が好きではなかったのでとても都合がよかった。
その奇妙なやりとりは相変わらず健在で、とても安心した。就職活動の話をすると、彼から細切れに質問が来ては、適当に応答した。掴みどころのない会話だった。
そんな彼のツボを僕は心得ていて、ここに通っていた頃に彼から勧められていた『BLUE GIANT』という漫画の話を振ると、彼は現金な笑顔を浮かべた。吉祥寺の若々しさ溢れるこの美容院にとって、きっと彼の趣味に適う様な客層がターゲットではないことは容易に想像つく。それでもソファー横にある本棚には大量の漫画本が収められており、これは彼の吉祥寺に対するせめてもの抵抗なのかもしれない、なんて馬鹿なことを僕は考えている。
彼はその本棚からお気に入りの漫画を取り出し、よくそれを僕に勧めてきたものだ。散髪中、僕は漫画に集中していたのだが、それは彼も同様だった。僕の髪の毛よりも僕が開いた漫画の方に目を取られている、ということがしばしばあり、泣けるシーンが来そうになると「ああ、もうそろそろだ…」とか、ちょっと笑えるシーンが来そうになると「ここがいいんですよ…」とか、ちょいちょい呟いてくる。いつもより完成度低いな、と仕上がりを見て思うときは大抵、勧められた漫画本が原因であり、髪型の完成度と彼の中での漫画のお気に入り度が反比例することを僕は知っていた。
不愛想で、会話がヘタで、従業員に対しても他人行儀で、漫画が好きな吉祥寺の美容師、が好きな僕の話。『BLUE GIANT』の連載が終わるまで、この美容室に通えるだろうか。
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