
【自己紹介】火田葦という存在について
はじめに
はじめまして、火田葦(ひだ・あし)です。
この記事はいわゆる自己紹介です。
私がどのような存在であるのかを皆さんにお知らせしながら、「火田葦」のことを紹介していきたいと思います。
生い立ちや価値観の根底にあるものなど、1番基本的な情報を載せながら、皆さんの暮らしや頭の中に少しでもお邪魔させていただけるような自己紹介ができたらと思います。
それでは、少しばかりお付き合いください。
生い立ち
生まれ
私は茨城県のとある市内で、深夜に母を陣痛で叩き起こして誕生しました。
2000年3月16日生まれで、今年、24歳になります。
社会人になり2年目の年で、仕事についても、将来についても、人間関係についても勉強の毎日を送っています。
三人のきょうだいの末っ子として生まれたこともあり、昔から年上のお兄さんお姉さんと一緒に遊ぶことが多かったため、今でも年上の人と打ち解ける方が早いし、得意だとも思います。
幼少期
車の名前を覚えたり、図鑑で興味のあることを調べたりするのが好きで、好奇心旺盛なところは昔から変わらないところです。
またテレビ番組やジブリ映画などの映像作品が昔から大好きで、幼少期からテレビには食い入るように見ていたと、家族からは聞いています。
確かに、テレビ番組も好きでしたし、途中途中に流れるCMもかなり好きだった記憶があります。
そのせいもあり、本や新聞を読むのに対しては苦手意識がありました。
この苦手意識は大学卒業まで続くことになります。
映像を見るのと同じくらい、絵を描くのも好きでした。
真っ白な紙に、自由に自分の頭の中にある何かをビジュアルにしていく作業が本当に好きで、絵を描くことは今でも続けています。
アトリエに行ったり、絵を本格的に学んだことはないので、我流だし、素人の域を超えませんが、納得感を突き詰め自分のために絵を描く時間がとても好きなのです。
小学生
足の速さとカードゲームの強さ、テレビゲームのうまさをとにかく追求していた典型的な小学男子でした。
低学年から中学年までは外で遊ぶことのほうが多く、とにかく鬼ごっこなどの走る系の遊びやサッカー、カードゲームに明け暮れていました。
小学生あるあるだと思いますが、頭の良さよりも運動神経の良さの方が目立つし、モテに繋がる世界だったので、私も「モテたい」「目立ちたい」という欲望に忠実に、運動神経がいい自分というのを演出したかったのだと思います。
塾や公文といった学習系の習い事には一切通わず、自分のやりたいと思ったことを習い事としてやりたいと両親に頼んでいました。(両親も自分に何かの習い事や行動をしなさい強制するということが本当に全くない人たちだったので、自分の興味関心に従って時間を過ごすことができました。ゲームのしすぎやお金の貸し借り、ルールを破ることなど、最低限やらないように注意すべきことは言われていましたが。)
経験のある習い事は、水泳・習字・ヴァイオリンで、水泳や習字はきょうだいもやっていたので一緒に通いたかったと言う気持ちもあったと思います。
自分の純粋な憧れの気持ちだけで始めたのはヴァイオリンだけで、これは小学2年生から始めて高校受験をするまで続けていたので、7年ほどやっていたことになります。
今でもヴァイオリンの華のある音色が大好きです。
歳をとってもまた再チャレンジできる趣味ができてよかったなと心から思います。
中学生
小学校の高学年でテレビゲームにハマりすぎたことで明らかに運動不足になり、中学校で始めて測った50m走で小学5年生の時よりも遅いタイムを記録したことに大焦りし、ただ足が速くなりたいという一心で陸上部に入部しました。
今振り返ると目立ったり、モテやすかったのはサッカー部やバスケ部だったので、この時くらいから「モテ」や「目立つこと」よりも、自分のこだわり(納得感)に対して敏感になり始めたのかなと予想しています。
多くの方もそうかもしれませんが、勉強において序列がつき始めたのが中学校からでした。
上のきょうだいが今でも尊敬するくらい勉強ができる人たちだったので、私だけ落ぶれるわけにはいかないという潜在意識があったのだと思いますが、勉強はそれなりにちゃんとやっていました。
しかし、これは勉強自体にすごく興味があったと言うよりはその論理性や筋が通っている部分を見つけるのが面白く、それを理解して進めば自動的にテストでいい点が取れるという構造が面白かったから続けられたのだと思います。
なので、5教科は満遍なく勉強していた記憶がありますが、1番好きなのは美術で自分の作品を作っているときでした。
この時くらいから創作することや自分の考えを形にすることが楽しかったのだと思います。
高校生
中学で始めた陸上競技は高校生になっても好きでした。
ボールや道具を扱うスポーツよりも、身体一つで過去の自分と戦う陸上競技が面白かったし、
自分の世界が大事になり始めていた自分にとって、誰かと競ったり上下を決めるようなスポーツよりも、陸上競技をやって自分の高みを目指している時間が好きでした。
これは陸上がそもそも人と競うスポーツではないと言いたいのではなく、自分にとって陸上がそういう競技になっていたということで、
案の定順位や数字に対して貪欲になれなかった自分は、県大会以上の大会で勝ち進んだり、そこで好成績を残すということはできなかったです。
今では、もっと勝負や順位にこだわれば良かったと、本気で思います。
しかし、はっきりとした自覚はなかったですが、私はやはり芸術(答えがなく、自分の納得感を突き詰められるもの)が大好きになっていたらしく、一度本気で芸術専攻への進学を勧められたこともあるくらいでした。
結局は私は自分が尊敬する人物が卒業している大学・専攻にいきたいと言う強い気持ちと哲学が好きになっていたことから、慶應義塾大学の文学部に進学することに決めました。
大学生
慶應義塾大学の文学部に進学したあとは、いわゆる普通の大学生らしい生活を送っていたと思います。
単位のために嫌々受けていた授業ももちろんありますし、特に朝起きて授業に行くと言うことが苦痛で仕方がなかったのを覚えています。
興味のある授業はどんな時限の開講でも必ず出席できましたし、成績も良かったですが、一方で、興味がない授業はよく単位も落としてました。自分の好奇心や興味関心が向かないものを義務で行うことが本当に苦痛でならないことに気づき始めていました。
1人暮らしを始めたこともあり、夢想的な私の"自由さ"という特徴は、物理的にも思想的にも最高潮に達していました。
つまり、物理的な世界でも、思考の世界の中にも私の自分の世界を侵害するものがほぼなかったので、自分の思想や考え、価値観を育てることに長い時間を費やすことができるようになっていたということです。
また、そのように自分で考えたことや「もっとこうしたら良さそうなのに」という気持ちを形に変えられる"サークル"というコミュニティーもあったので、日々の中でインプットし、考え、アウトプットするというサイクルが自然と出来上がっていたこともラッキーでした。
サークルでは合唱をやっていました。
これまでの陸上競技とはまた違って、芸術の世界や宗教の世界、文化の世界を知るいいきっかけになったと思います。
元々歌うことも音楽自体も大好きだったので、大学の4年間は幸せでした。
まとめ
幼少期から大学までのおよそ20年間で私の中で「自分の世界」は拡大し続けてきました。
多くの人も知らず知らずのうちに自分の価値観で世界を眺め、「自分の世界」を拡大し続けてきたと思います。
しかし、私の中で自分が考えたこと・思想というのは、「世界はこういうものだ」という世界の仕組み/構造の理解やそこから生じる諦めの結果ではなく、自分にとっての「納得感」の集合、つまり「私は世界をこう見る」という強い信念の集合であるため、私の中で私の世界というものは強固に出来上がってしまっています。
おそらく私はこれからも「自分の世界」を拡大し続けます。
自分の世界の眺め方・切り取り方を表す方法は数多く存在しますが、noteはそのうちの一つです。
自分自身でも自分がどのように世界を見ているのかについて書き出すことで自分の理解を深めたいとも思っており、noteでは「自分の世界」をできるだけ正確に言葉に変えるということをしていけたらと思っているのです。
私の根底にあるもの
生い立ちから、「火田葦」が大体どのような人物なのか、少し想像が付きましたでしょうか。
次は「私の根底にあるもの」という観点から少し自己紹介を深めていきます。
私の根底にあるものを一言で表すと「周囲と異なることへのこだわり」です。
"こだわり"とは「自分の中での納得感」「しっくりくる感じ」という風にも表現できます。
こだわった結果周囲と同じ答えに辿り着いたり、世の中で広く受け入れられているフレームに収まることは多いですが、私はそこに辿り着くのに自分がどのように納得し、しっくりきているのかという点にかなり重点を置きます。
そのため、突然人から勧められて何かをしたり、自分が納得してないのに何かをするのが本当にできないです。
それもあってか、誕生日プレゼントなども貰っても使わないこともたくさんありますし、勧められた本や漫画を読んだりするのも苦手です。
繰り返しますが、「周囲と異なる」ことは、「天邪鬼になり、人の言うことや、イイと言われているものを全て拒む」ということではありません。(流行りの曲とかは普通に聞きますし、好きなものも多いです。)
そうではなく、とにかく答えに辿り着くまでの過程で、自分がその結果に納得ができているのか、という点がとても大切なのです。
高校生の時に大学を選ぶときも、地元の国立大学に進学する人が学年の大半を占める中で、自分だけは「自分の納得できる理由」に加え、「1ミリでも"周囲に流された"という見え方が絶対にないようにしよう」という意固地と捉えられてもおかしくないこだわりにより、東京の私立大学に進学するという選択をしました。
結局のところ慶應義塾大学に進学しているので、多くの人から見たら、いわゆる"慶應に進学する理由"によって慶應義塾大学に進学しているのだと思われることも多いですが、
私の中ではこの上ない納得感により自己決定をしたという自負があるがために、そのような見え方をされていることが全くもって気にならない、と心から思えるわけです。
このような自分による自分のための納得感を持つことがひたすら大切なのです。
このように自分のこだわりを貫くことは、「結果として周囲と異なりたい」ということとも「少なくともアプローチやプロセスにおいて周囲と異なりたい」ということとも全く違います。
自分の中の究極の納得感・しっくり感を最優先にすることで、表面的・結果的には周囲と同じことをしていることになったとしても、「なぜそれをやるのか」という理由が自分の言葉で説明できるということだけで「世界で自分だけがそれをやっている状態」になるのが好きなのです。
noteでどんなことを書いていきたいか
私の生い立ちと根底にあるものから考えた時、noteではどのようなことを書いていきたいのかについても自ずと答えが出ます。
つまり、私がnoteで書きたいものは「自分の世界の見方」です。
私の世界の切り出し方を、自分に対しても、違う世界の見方をしている誰かに対しても、同じような考え方をしている誰かに対しても言葉に変えて伝えられるものを書けたらいいと思っています。
それは思想や世界観、価値観として現れるものなので、分類としてはやはり哲学に近いものだと思います。
しかも、かつての哲学の巨匠たちの研究をもとにした論文的な記事ではなく、あくまで何者でもない「私」の思想の産物なので、このように世の中に発信できること自体が烏滸がましいことではあるのですが、
やはり私は自分の納得感のためにやっておきたいことについては執念深いので、このように自分の考えを言葉にして残していきたいと考えます。
私の思想が対象にするのは、仕事や、将来や、自己実現や人間関係などについてが多いです。
自分の理想像をもって生活してきた側面が強いことから、興味関心は自然とそのような方向に向きがちです。
そのため、数値として結果に繋がったりする実学よりも、いくら考えても答えが出ないようなことについて私が考えたことを聞いていただくことが多くなると思います。
おわりに
簡単ですが、私の自己紹介をさせていただきました。
いかがでしょうか。
私はとにかく思想が強いと家族にもよく言われます。
しかし、私は私の考える世界に過ごすことがとても好きです。
この性分は直そうと思っても直らないと気づきました。
絵を描くことと同じで、真っ白な紙(note)に一文字一文字自分の考えを綴るこの時間が私にとってはこの上ない自由であり、至福です。
特に、社会人として働き始めた私にとって、「自分の世界」に介入する人間関係や仕事でのアンコントローラブル(不自由さ)は、学生の時のそれとは比にならないくらい増加しました。
解釈や思想、価値観の自由を求めて私は芸術に触れ、哲学で夢想に耽るので、ルールや規則、ノルマや人間関係の制約が降り掛かる今だからこそ、自身の世界観の広がりを芸術で補いたいわけです。
これからも「自分の世界」を切り取り、少しずつ言葉にするということを継続していきます。
私は私のためにこれをやっている節もかなりあるのですが、少しでも多くの方が「私の世界」を面白がり、共感してくださったり、議論を交わしてくださったり、疑問を投げかけてくださったら、とても幸せに感じます。
引き続き「火田葦」をよろしくお願いいたします。