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せっかち

 私は『せっかち』だ。

 そして、自分自身が『せっかち』であると気がついたのは、昨年。
 「以前から『せっかち』だと思っていたけど…」という、友人からの何気ない一言だった。

 以降…担当医たちに「私は『せっかち』らしい」「私は『せっかち』だということに最近気がついた」という話をすると、相手からは「え?気づいてなかったの?」「いつもなにかに追われているよ」という返しだった。

 私以外の周りのひとたちは私が『せっかち』だと認識しているのだと…30過ぎて気づかされ、それ以降は自分自身について学ぶことや気づくことがとても多く、『せっかち』だと教えてくれた友人には感謝しかない。

 30年間もなぜ自分が『せっかち』だと気づかなかったのか…それは私の育った環境がのんびりさせてくれるような状態ではなく、むしろ そのような状態でも毒母からは「怠けている」と常に卑下されてきたからである。
 そして、我が親友とその家族は常に物事を合理的に判断し無駄を省くタイプなので、身近な存在もいわゆる『せっかち』なのだ。
 故に、30年間も自分自身が『せっかち』だと気づくことなく、むしろ 30年間も自分自身は『怠け者』だと感じながら生きてきた。そして、最悪なことに…私は自分の『せっかち』を他者にも押し付け迷惑をかけてきた。

 自分が『せっかち』だと知らなかった頃はハードな予定を詰め込み、そして それをすべて独りで抱えオーバー・ワーキングになり倒れることもしばしばだったが… 昨年今年と【自分は『せっかち』である】という大きな学びを得てからは、オーバー・ワーキングにならないよう、少しずつ休んだり周りに頼ることを覚えつつある。

 いまはこんなことを書き込んでいるが、きっとまた『せっかち』が暴走する日がくるだろう。その時はまた学び…休み…また進んでいきたい。

 きっと…だいじょうぶ。

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