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生きていてよかったという心地.日記

1週間で準備してきた舞台の本番の日だった。
わたしは今回裏方スタッフとして、映画業界で言えば制作部みたいな役割を担っていた

子どもたちが主役の舞台なので、演者は一年生から高校一年生まで。わたしは子どもの水がなくなったら買ってきたり、こどもに「これ手伝ってー」って言われたことを手伝ったり。
とにかく舞台の練習から本番までが上手くいくように、いろいろなところに目を配りながらがんばっていた

この舞台の趣旨は、子どもたちが5日間で一から劇を作り上げるというもの。
高知の土佐和紙をつかった舞台で、伝統と「今」をうまく繋げた舞台だと思う。ダンスも和紙を使いながら踊る。また、劇は「風船爆弾」という日本の兵器に和紙が使われていたことに焦点を当てて脚本が作られた。
プロデューサーが、和紙(主に土佐和紙)を広めるためにたくさんの活動をしている方なので、どんなものにも和紙が登場する。和紙がただの紙としての需要を失った今、新しく活躍する場面を生み出すというのは本当に大切なことだと思う

もうすぐ10年目を迎えるこのプロジェクトだが、わたしは2年前に少しだけ参加させてもらってからというもの、毎年この街に来ている
高校の時、和紙部として二年間活動していたので、和紙という伝統に対しては強い思い入れがある。伝統を存続していくために自分にできることを考えている途中なので、このプロジェクトに参加させてもらえることがすごくありがたい

あの街も、プロデューサーのあゆみさんのことも大好きだし、あの家で会える人たちのことも好き。
わたしにとっての第二の実家みたいなものだし、あゆみさんは私にとってお姉ちゃんみたいなものだ

劇の話に戻る

内容の方向はだいたい決まっているけど、ダンスの振り付けや、セリフは全部子どもが考える。子どもと大人の距離感も、舞台の作り方も、わたしの通っていた学校みたいな感じで安心感があった
最初はバラバラだったダンスも、本番が近づく頃には綺麗に揃ってきて、みんなも笑顔で楽しそうで、見ているだけで楽しい気持ちになれる。

本当に怒涛の1週間だったから、舞台ではなく稽古場で練習していた4日前がもう信じられないくらい遠くにいる。そのくらい1日1日が長かったし、その分楽しかった

本番は、多くのお客さんが集まってくれて、みんなの緊張感もどんどん増していった。小学生たちは、舞台裏で「緊張するーーー!」ってずっと言っていたし、緊張しすぎて体調が悪くなっちゃった子もいた。その子はたくさん練習していたけど本番ほとんどでれなくて、オープニングとカーテンコールだけ出た。練習をずっとがんばっているのを見ていたから残念だったけど、本番よりも過程が大事だと思うから、大丈夫
本番が終わった瞬間に緊張がなくなったのか元気になっていた

小さい子って本当に何があるかわからない

また別の子は、練習を2日間がんばって、全員で合わせるダンスを完璧にした。グループでの動きもあったけど、それをするにはちょっと2日間がんばりすぎちゃったらしくラストダンスだけ出る決断に。
「最後のダンスだけでる」って言って、舞台上で一生懸命踊っている姿はかっこよかった。こんなにも小さい子にもしたいことがあって、したくないこともあって、できることがあって、できないことがある。人間の成長過程をものすごく近くで見させてもらっていた

高校生のチームは、ソロダンスがある。
わたしの推したちは舞台でも緊張感を見せずに全力で表現していて、ものすごく感動した。2年前から知っている子たちだからこそ、あの時からの成長を感じたし、あの頃よりも深く関われたから人間味を感じることも増えた。また、ダンスを見るわたし自身の、彼らの想いを受け取る幅が増え、たくさん伝わってくるものがあって本当に泣いた

幕が降りて拍手が止んだ瞬間、みんなが袖まで走って帰ってきた。おかえりーー!って全力で受け止めて、楽屋まで連れて帰る。みんな息を切らしながら笑顔だったのがかわいかった。
自分が終わってしまったことに寂しさを感じていて、少し驚いた。思ったよりもみんなのことが好きになっていたらしかった

今まで、わたしは小中学生とか、それより下の子たちと関わるのが苦手で、ていうか子どもへの苦手意識がすごいあったのだけど、ちゃんと面と向かって関わったら関わり方を少し掴めた気がした
関われる人間の幅が3歳〜80歳くらいまでにはなった気がする

それと、ちょっとだけ高知弁を覚えた

練習

今回は子どもたちのプロジェクトと、プロの俳優たちの舞台の二つが同日に開催された。同じ時期に二つとも稽古をした。
スタッフたちはみんな、大きなひとつの家に泊まっているから、帰ってくる場所がある安心感が最高だった。俳優たちと、ダンサーたちと、わたしたち、舞台を作るためだけにいろいろな場所から集まって、一時期を共に暮らす。
不思議な巡り合わせだなあ、と毎日の食卓で思っていた

そんな俳優チームの舞台は、言わずもがな最高だった。

内容を簡単に説明すると、これもテーマは和紙。土佐和紙と、和紙を作る工場の家族が主役で、そこからいま和紙という伝統がどんな立ち位置にあるのか、(要は伝統存続の危機だから、具体的にどうしてそうなっているのか)和紙に対する想いを1時間半の舞台にしたものだった

人の思いを形にするということの美しさを感じた。どんな伝統にも繋がりがあり、続くにはそれだけの理由がある
伝統とは何か?と聞かれたら私は、前を向いても後ろを向いても道が見えるもの、と答える。その道とは人の思いのことであり、技術のことでもあり、それまでに関わってきた人、これから関わるであろう人のことでもある。

和紙はずっと需要があったから、続いてきた。壁紙、障子、ふすま、もちろんただの紙としても。その時代はそれが家業で続いていた。しかし今となっては、わざわざ多くの工程があって、人の手がたくさん必要で大変な手漉き和紙にこだわる人はもうほとんどいない
昔からずっと紙漉きさんとしてやってきた人は、もうご高齢だし、原料である楮の農家さんもご高齢。繋ぐ人がいない

私みたいな若い世代の多くは伝統に興味がないし、たぶんこのノートを読んでいる人はそれなりに伝統に興味があるから読んでくれていると思うけど、ない人は冒頭で読むのをやめると思う
そういうことなんだよなあ。

あの劇では、和紙や伝統に関する、わたしたちへのメッセージがたくさん含まれていて、多くのことを訴えかけられた。私は、いつか和紙の映画を撮りたいと思っているけど、あの劇と同じようなメッセージを発信するのではあんまり意味がない。私にしかできないことを、私にしか書けないものを書かないといけない
それを探すのに時間がかかりそうだけど、大学卒業までには撮りきりたい

今回の子どもたちの舞台を見たり、プロの俳優たちの舞台を見て気付いたことは、子どもの頃から和紙が身近にある人はとても少ないということ。
出会う人に部活何やってたの?と聞かれて、「和紙部です」って言ったら一回「ん?」って顔をされる。「あの、日本の伝統の、あの和紙です」って言ったら、ああってなる。それくらい和紙って、体にスッとは馴染まないもので、私は毎回それに少し悲しくなる。
でもこれがやっぱり現実か、とも思う

和紙が目指すべき立ち位置は、スマホだ。
今、現代に生きている人で「スマホ」を知らない人はいない。(例外はあるかもしれないがまぁ大抵の人は知っているものという意味で)
和紙は、スマホにならないといけない。たぶん和紙がスマホになれた時こそ、「和紙部」が通じるようになるし、和紙業界も大きく変わるのだと思う

いまは、需要と供給のどちらもが足りておらず、それを覆すことはもう難しいのかもしれない。
でも、まだ日本には若い世代でも頑張っている人たちがいるし、少ないけど紙漉きさんもいる。和紙をつかうアーティストもいる。だから、彼らががんばっているうちは、私も私にできることを一生懸命にしようと強く思った

240816

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