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#73【介護雑記】あなたの知らない「葬儀」の世界。

介護やターミナルケアについては、100家族あれば、100通りの考えや方法があり、それぞれの家族の価値観が尊重されるものであるが、いずれにしても「葬儀の時」は、必ず訪れるわけで・・・。

事前知識として知っておく事に損はないだろう。
そんな気持ちから本記事をしたためる。


・「死は穢れ」という神道ルールの大前提。

日本人が生前に「葬儀」の話をするのを忌避する傾向が強いのは、「”神の国の人”だから。」という説がある。神道では、『死は”穢れ”』であり、忌避するべき”不吉な事案”とされているからだ。

親族で不幸があった時には、忌明け(喪が明ける)までは、神社へ参拝してはならない。それも「親等」によって、細かく期間が定められている神社や地域もある。(施主は一周忌が明けるまでは、神社の参拝をしてはならない。とか。)

家内に「神棚」をお祀りしている場合には、同じく忌明けまで、神棚を封じなければならないとか。

また、葬儀告別式や法事から自宅へ帰って来た時には、家に入る前に、「清め塩」といって、「あら塩」を、自身の体にパラパラと掛けて”清める”。という、よく知られている風習は、『死は”穢れ”』という「神道」に由来するものだ。(当家の菩提寺のご住職は、この風習に激しく抵抗しているw)

・「死=仏になる」という、仏教ルールの大前提。

ところが、「葬儀」というのは、宗派は違っても、その多くが『仏教ルール』で執り行われる。

仏教においては、『死=仏になる』という死生観が共通であり、決して、『穢れ』ではないんで。『死を清める(忌避する)』という概念はない。

よって、どの宗派でも、お勤め時や読経の際に「清めの塩」を用いる、というパフォーマンスはない。

むしろ、『仏様』として、子々孫々の繁栄を見守って頂くべく、日々の生活の中に、「お仏壇」という場所を設け、朝晩に供養し、「死」というものを、自然に日常に”受入れていく”というのが、仏教的思想ロジックだ。

・日本の葬儀は、何故「仏教ルール」が多いのか?

「自分は無宗教だから関係ない。」と思っていても、「葬式なんかしなくてもいい。」と希望していても、むしろ、そうであるなら、尚更、自動的に「仏教ルール」で、葬儀は執り行われる。

何故なら、「埋葬」や「墓地」を管理しているのは、その多くが、神社ではなく、”お寺さん”だからだ。

神社には個人の「お墓」はないでしょ?
(前途の『死は”穢れ”』という神道ルールの大前提がある為だ。神社は『神の聖域』なのである。)

火葬場を設ける自治体は、各宗派の寺院や霊園と連携し、「墓地埋葬法」(墓地、埋葬等に関する法律/昭和23年5月31日法律第48号)という法律に則り、その内容を遵守しなければならない。

・『鬼籍』の本当の意味。

逝去されたことを、よく『鬼籍に入る』と表現するが、これは、単なる表現だけではなくて、実際に、亡くなった後に、埋葬された霊園を管理する寺院で『埋葬/火葬許可証』を元に、『過去帳』と呼ばれる、『戸籍』が作られている。

これが管轄の市町村と共有され管理されている。つまり、『過去帳』は『亡くなってからの住民票』と同じ。

なので、例えば、【お墓の場所を、遠くの実家のそばよりも、お参りしやすい自宅近くの霊園に移したい。】といった場合には、平時の引っ越しと同じ様に、「お墓(故人)の住民票」を転居・転入させる為、自治体への届け出や法的手続きが必修となる。(お墓は勝手に移転できない。)

骨壺による「遺骨のみ」の移転も同様である。

先祖代々、何世代もの仏様の分を、”一斉、お引っ越し”ともなると、これは結構な手間暇、費用を覚悟しなければならない。地方や宗派によっては、「骨壺ごと」ではなく、お墓内に直に「散骨」するケースもあり、この場合、後からの「回収」は、厳しくなる。


”そんな事は、葬儀屋に丸投げしときゃーいい。”

というのは、「親の介護なんか、介護施設に丸投げしときゃーいい!!」という、無知で無責任な高圧的態度と、全く同じ。後で、親族間のトラブルになったり、揉めるのは必至。

「介護キーパーソン」は、「看取り」までを、在宅、施設を問わずに、全身全霊を懸けて行っているわけで。「看取り」の後は、激しい”バーンアウト(燃え尽き症候群)”に襲われる。

その時に、それまで自分の心血を注いで来た「親」の「葬儀」を、「うんなもの、葬儀屋に丸投げしときゃーいいだろう。」と乱暴に言われたら、例えそれが、介護キーパーソンの心労を労う意図があっても、介護キーパーソンの心は報われない。むしろ、もっと深く沈んでしまう。

また、「介護キーパーソン」が、必ずしも、「施主」になるとは限らないわけで。その時は、「介護キーパーソン」の介護に懸けた想いや、故人に対する心情、苦労を労い、報われるような、充分な配慮をしてあげるべきだと思う。

その為には、やはり「縁起が悪いから。」などと、生前の葬儀やお墓の話をいたずらに忌避する事なく、葬儀から埋葬に至るまでの一連の手順やその必要性を知って、事前に対策をとっておく必要があると、私は考えている。

それも、家族介護者に対する、大切な「介護支援」だと思うのだ。

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