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【書評】美学への招待

美学あるいは美学者を、誤認していたか。


佐々木健一『美学への招待』(中公新書, 2004※)を読み、それがまず思い浮かんだ。

2019年に増補版が出ているが、今回読んだのは古い2004年版。古本屋で見つけたので。このnote記事を書いていて、古い版であることに気づいた。そのうち増補版も読むつもり。

補注


世代によるだろうが、なんとなく美学というものを、アニメ「ルパン三世」(昔の方)の主題歌的にとらえてしまっていた。というか、すり込まれていた。同じ人、たくさんいると思うが。。

おーとこには(略)せなかでぇ~なーいてる おとこのぉ~びーがく~♪

記憶のイメージです。


しかし本書で語られる学問としての美学(aesthetics)は、そういうものではなかった。


いわく、本来言葉にならず感じる/体験するしか無いモノ、すなわち感性を誘発するナニカについて、それがなぜ/どのように「価値」があるのかを説明しようとする/その証を立てようとする哲学的試み、それが美学であると。


そしてそのような美学は、西洋近代という人類史におけるエポックメイキングのもと、必然的にうまれた学問であったとのこと。しかしややこしいことに、その考察対象である芸術が実態としても概念としても多様化した現代においては、「これをおさえておけば明日のテストもバッチリ!」的な知識として存在する学問ではもはやなくなっているという。各々が着眼する個々の事物事象に対し、問いを立てる段階から「しなやかに」応答するしかない、それが現代における学問としての美学である、と著者は主張する。

現代の美学に、標準的な目次はありません。美学と言えるためには、美と藝術と感性についての哲学的な考察である、というだけのことで十分です。

p.22


あとはひたすら、言語(哲)学・概念論・認識論・解釈学的な枠組み(※あくまで私の大雑把なとらえかた)の論考で本書は埋め尽くされる。



個人的には、のめり込む面白さだった。


論考の足がかりとして引き合いにされた事例は、よく練られている。よく知られた、あるいは現代において身近な、作家・作品あるいは文化的イベントからセレクトされており、それが著者の言わんとするコトの理解をスムーズにしてくれる。一方、それらを材にとり展開される数々の美学的論点(論考テーマ)は、実に幅広い。近代美学(筆者はこの言葉を否定的に用いている)として過去美学史的に俎上に上がったモノ・コトや、あるいは美学史にとらわれず現代を生きる我々が(それを美学と認識するかどうかは別にして)感性的に考察する/体験的に評価しているモノ・コトが、縦横無尽に取り上げられる。

個人的には、前者の、本書で取り上げられた事例選択の的確さ・鋭さには、ただ感服する。また後者の、論考テーマのラインナップも、個人的には非常に既視感のあるものばかりだった。なぜかというと、展覧会を鑑賞しててある日ふと一度は思い浮かんだことがある論題が多かったため。例えば、「美人画とは?」「美人とは?」「美とは?」とか。「なぜ『美術』と行ったり『藝術』といったり『アート』と言ったりするのか」とか。「既に美術館や博物館という言葉があるのに、近年『ミュージアム』がやたら目につくのはなぜか」とか。

ただ、ここまで繰り返し「個人的には」と書いたように、本書の評価/読んで面白いと感じるかどうかは、読み手の個人差がかなり大きいものと思う。読み手の経験・嗜好・資質に(この順番で)大きく依存すると思う。なのでたとえば、アート的なorアート的にモノを考える面白さに目覚め始めたばかりの15歳ぐらいを読者としてイメージすると、この本を手にとっても、いきなりそれなりに深淵な問いを次々とぶつけられ、大抵「うーん、パス。別ので。」となってしまいそうな気がする。そのような段階では、個人的には(また書いてしまった)以下のような本の方がオススメだと思う。

そう言えば、『13歳からのアート思考』という本も近年話題になった。読んでないけど、似た位置づけの本なのかも。そのうち確認するか。

逆にどのような読み手だとこの本がうまくハマるか。「特に大学で美術・藝術を専攻しておらず、かつ、特定のジャンルというより美術館博物館展覧会そのものが好きで、足繁くそれらに通った結果オールジャンル的な鑑賞経験値がかなり高まり、そろそろ『会場でなんとなくふわっと触れられていたり空気のように察せられるものの、なぜか正面切っては語られておらず、ある種かわされているようにも見える』各種問いマグマをどうにかしたい、というような人」には、本書は向いているのでは。

ほかに、大学の受講科目で美学を取ったのでその学習・レポートのため、というのもいかにもありそうなケースだが、本書はそれに応えるような造りにはなっていないという。「はじめに」で著者自らが早々に明言している。


本書を面白く読めた背景として、さらに個人的な状況をつけくわえさせていただくと、現代美術家 大竹伸朗の著作をこれまでにいくつか読んでいたことも、影響として大きい。具体的なタイトルを挙げると、『既にそこにあるもの』『見えない音、聴こえない絵』『ビ』。別にこれら大竹の本を美学の本として読んだつもりはなく、純粋にアーティストの書いた読み物として楽しんで読んだだけである。ただ結果として、本書中で展開されるさまざまな美学的な問答への下地が、大竹伸朗本の読書を通じ半ば自然と形成されていた。なんとなれば、本書で出てくるトピックに「大竹も似たようなこと書いてたな」と思い当たるものが、多々あるからである。


正直細かいところでは、この本だけでは分からない、なんとも言えないと思えた言説も2,3あった。美学と芸術哲学は違うと言われ、「あ、そうなの?」など。しかし全体としては非常に満足できた。



* * *

この本の内容に対する評価からは外れるが、個人的に「喉に小骨が刺さったようで素直に飲み込めなかった」点が一つ。本書中でキーワードの一つとして「しなやかな」という表現が再三使われるが、正直この言葉は好きではない。「柔軟に」と書けばすむところを、着飾って取り繕っているような表現レトリックに感じるため。残念ながらこの点は、著者と私で「美学」が異なっているようである。



以 上




付記・謝辞

見出し画像は「みんなのフォトギャラリー」より、「ルパン三世」で検索し出てきたものの中から。提供者 tamanabinote2020 さんに感謝。なお、「美学」でも検索したが、そっちではろくなのがなかった。


どうやらこのルパン、今も会えるらしい。道東(北海道の東側)へ旅行される方は、気に留めておいては。



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何となくUNIX(いしい)
誠にありがとうございます。またこんなトピックで書きますね。