CASH事業責任者を卒業します
バンクでCASHの事業責任者/エンジニアをしていたイリーです💡
先日のアナウンスの通りバンクのチームは解散しました。バンクで過ごした1年半の振り返りと、今後のチャレンジについて書いてみようと思います。
プロフィール
・1992年生まれ
・出身: 福岡県(生まれは愛媛)
・国籍: 韓国
・趣味: 料理
・髪の色: 青
略歴
17-18年
・新卒でフリークアウトHD
・JapanTaxiさんとの合弁会社の株式会社IRISにいました🚕
・見習いエンジニアとしてタクシー広告の開発
18-19年
・株式会社バンク
・サーバーサイドエンジニアとして入社
・DMMさんからのMBOのタイミングでCASH事業の責任者になりました
19年-
・株式会社シン
・フードテックやります🍣
・秒.work
・サイドプロジェクトとして粛々と育てていきます
バンクでの1年半
少し長くなりますが、バンクで大好きなメンバー達と過ごした1年半という時間を振り返ってみようと思います。
「収益化とかしなくていいのかな?」と思った入社期
3月に入社した頃は、CASHは新規カテゴリの追加やキャンペーン的な新機能開発がてんこ盛りで、会社全体でも数ヶ月先にTRAVEL Nowのリリースを控えていて大忙しでした。
エンジニアとしての経験も浅く、Railsを実務で触ったこともほぼなかったので、大きな新機能の開発にいきなりアサインされたりすることはなく、細かいIssueをひたすら拾っていました。当時のCASHは新機能の開発などで世間から注目され、ユーザーの注意を引くことはできていたものの、買ってきた中古品の販売や、大規模倉庫での物流オペレーションなどの裏側の部分はまだまだ手薄で、手探りな査定の中で市場価格から大きく外れた価格で買い付けている状態でした。しかもそれがユーザーから送られた箱のまま大きな倉庫に積まれていて、いつ誰から買ったものがどこにあるかもわからない。当然買い手のアテもありませんでした。
つらいけど色んなことを学んだ裏方エンジニア期
営業のマネージャーや新卒のメンバー達と小さなチームで、ひたすら4ヶ月間「ユーザーからは見えない部分」の開発をしていました。バブリーな買値のまま販売しようとしてお客さんに怒られて、「本来これぐらいが妥当な売値なんじゃないか?」と販売価格ロジックのチューニングを夜中の3時までやって納品リストを作りまくっていました。
倉庫に届いた荷物を顧客に販売するため、ローブランドとハイブランドの比率が7:3になるように仕分けるiOSアプリを作ったりもしました。先輩が作ってくれていたものをベースに、同世代で経験豊富なiOSエンジニアのあっくん🍮と2人で機能改修をしていたのですが、ここで彼に色々なことを聞きながら一緒に設計の経験を積めたことが、「webっぽい設計の仕方」や「ロールバックの効かないネイティブアプリならではのサーバー/クライアントの責務の切り分け方」の理解につながりました。
4ヶ月経って気づいたら、リユース事業そのものについても詳しくなっていました。
新CASHチームが立ち上がったTRAVEL Nowリリース期
7月にTRAVEL Nowをリリースした頃、2人いたマネージャーの両方がトラベルチーム配属になり、トラベルをリリースした週に入ってきてくれた2人の新しいマネージャーと一緒にCASH事業を担当することになりました。エンジニアとして事業開発に近い部分を見ていたこともあり、僕もマネージャーとエンジニアを兼務することになりました。
クリアすべき課題は山積みで、同い年のエンジニアの隼たちと毎日悩みまくっていました。
アリクイチーム期
大きな課題から集中して解決していくべく、CASHチームを3つのプロジェクトチームに分けることにしました。僕や隼がいたのは「アリクイ」というチームで、僕たちのミッションは「CASHの事業課題を解決する」でした。こんなにスコープの大きなプロジェクトはハロー!プロジェクトぐらいしか聞いたことがありませんでした😇 (↓アリクイの決起会の様子)
「今週狙いを定めた課題を解決する機能を来週に出して、再来週には成果が出ている」というスピード感でプロジェクトを進め、当時大幅なマイナスであった収支を、発生ベースでギリギリ黒字になるところまで改善しました。
事業責任者になったMBO期
10月末にDMMさんから独立することになり、それとほぼ同時にCASH事業の責任者になりました。COOのたかちゃんにランチで「CASH事業全体を統括するようなポジションについてくれませんか」と言われたときは、ビックリしたのと嬉しかったのと責任感に潰されそうなのと、色んな感情がありました。
COOのたかちゃんは、どこの馬の骨かもわからない僕を入社した頃からいつも飲みに連れて行ってくれて、事業の話を沢山聞かせてくれて、優しい言葉でいつも自信と肯定感で満たしてくれて、肩書きも目線も事業責任者に引き上げてくださいました。不甲斐ない結果に終わらせてしまったと思っていますが、ここで学ばせていただいたことを決して無駄にせず、次のチャレンジの糧にします。
「黒字化」と「モノ払い」の解散直前期
事業責任者になってから半年以上が絶ち、今年の5月にやっとの事でCASH事業のユニットエコノミクスをプラスにすることができました。モノ払いのリリースによって買取の間口が大きくなるギリギリ前の話で、販売結果の速報を見たときは「ついにきた!!!」という感じでした。
これまで幾つものプロジェクトのオーナーとしてチームの推進力になっていた隼とまっつんさんという2人のリーダーと、即金機能の不正率を60%以上から2%まで引き下げたAIチームのブレインたち、機能改修のユーザーへの影響に真っ先に気づいてプロダクトにフィードバックしてくれるオペレーションチーム、価格の決定から請求書の発行まで一気通貫で販売を支えてくれたマネージャーとデータサイエンティストのコンビやバックオフィスの方々、いつも最高クオリティの表現でデザインドリブンな機能開発をリードしてくれたRyoko先生とrinちゃんのデザインチーム、会社のみんなの支柱であり人生の大先輩であるハセさんと森永さん、現場で関わった全てのメンバーで挙げたこの小さな成果を、僕は心から誇りに思っています。
浸っている間もないうちに俊吾と守の2人のリードに支えられてモノ払いがリリースされ、それからしばらくして、チーム解散の旨を伝えられました。
解散からフードテックスタートアップへ
事業責任者になった頃から、OYO LIFEの菊川さんやクラウドワークスの成田さんに、事業開発のことやチームのこと、事業責任者という仕事そのものについて沢山相談に乗っていただいていました。お二人とのご縁から、当時まだDeNAにいらした大見さんとのご縁が新しく生まれ、まだ構想段階だった事業の話を伺いました。「CASHを次のステージまで押し上げたら、その後はこの人たちとフードテック事業をやりたいな」と思っていていました。
当初の想定より早くなりましたが、半年越しにそれが実現に至ることになりました。シンという会社で、マンションの一室で、信頼するCASHチームのリーダーの一人である隼と、モノ払いのプロジェクトオーナーを務めた俊吾の2人と一緒に。
表現とソフトウェアの力
解散の社内向けアナウンスがあった頃、チームはそれぞれで転職活動をすることになったのですが、転職理由を聞かれて「チームを解散することになったからです」と言うわけにもいかないし、そもそも同じ会社からこんなに多くの転職希望者が流れ出ること自体がユーザーや顧客を不安にさせてしまうんじゃないかと感じていました。
そこで、以前から考えていた「Twitterを使って匿名で仕事探しができるサービス」を、土日や終業後などの時間を使ってこのタイミングで作ることにしました。
デザイナーのhitsujiさんとよく話していますが、このサービスがバンクらしく表現とソフトウェアの力で、一緒に働いてきたメンバーの助けになることができれば幸いです。
お世話になった方々に向けて
バンクのメンバーだけでなく、サービスのユーザーさんやお客さん、いつも事業の相談に乗っていただいた大先輩方、出産を控えた奥さんと小さなお子さんを残して岡山から出向してきてくださっていたパートナー企業の担当者さん、DMMの皆さま、関わってくださった全ての方々に対し、感謝と不甲斐なさを感じています。
こうしてバンクで過ごした1年半という時間を振り返っていると、CASHチームとソファーのところに集まって次にやることを決めていた時間や、お世話になった方々の顔が頭に浮かび、情けない思いがします。この1年半という時間の中ででいただいた沢山の機会に、恥ずかしくないような生き方、働き方をします。
読んでいただきありがとうございました🙇♂️