見出し画像

”婚外恋愛のパラドクス”半径1メートルの世界「恋」(9)

 結婚が主に経済的な縁組だったとき、不倫は時に愛のためのスペースだった

ステファニー・クーンツ

 インターネットにより人と人は簡単に繋がることができるようになった。これまでは生身の人間同士が、社会的にある程度の隔たりのある環境下の中で出会い、知り合い、共通性や相違性を見つけながら恋に落ちる必要があった。
 しかし、ネット上では距離や社会的隔たりを無視することができ、肉体的で直接的なコミュニケーションは必要としない。貼り付けられた外見上の好みを元にプロフィールから共通性を見つけ、タップやクリックで繋がりを形成することができるようになった。
 これはある意味ルッキズムの台頭でもある。アップロードできる外見に自信のないものは簡単に淘汰され「いいね」をもらうことができないものは何も始めることができず、資本主義のコンセプトに漏れることなく精子競争はより激化した。
 しかし、自分の活動できる日常生活範囲では決して会うことのない人間と繋がりを持つことがひどく簡単になったのは言うまでもない。友人から恋人、セックスフレンドから売春まで、あらゆる人間を探すことが容易になった。それは「不倫」も同様だろう。

 日常の責任から隔離された不倫という並行世界はしばしば理想化され、超越できるという期待を与えてしまう。人によってはそれは可能性の世界、すなわち自己を考え直して作り直すことができるもう一つのリアリティだ。

「不倫と結婚」エスター・ペレル著 晶文社 2019年

 ここ最近、「不倫」「不貞」は「婚外恋愛」という名称にその表現を変えた。これまでの名称をオブラートに包み、少しだけその表現を柔らかくしたようだ。日本はこのような言い換えがとても得意で、「セカンドパートナー」という呼び名は罪悪感を薄める聞こえのいい溶液となったように見える。これは多くの人が不倫に対して寛容になった証拠でもある。
 「婚外恋愛」に未だ共通した定義は存在していないが、「お互いの家庭を壊さないことを前提とした不倫活動」と言えるだろう。何よりも現状は維持しつつ、恋愛の楽しみだけを享受したい者たちにより作られた名称であるとも言える。
 これらを加速させたのはネットワークであることは言うまでもない。婚外恋愛「活動」はSNSとアプリにより、同じ境遇のパートナー候補を簡単に捜索できるようになったのだ。
 これら世界に類を見ない「不倫全盛期」によりわかったのは、結婚後パートナーと良いリレーションシップを築けていない人が思った以上に存在するという事実だ。やはり「恋愛」には期限があることがこのことからも分かる。

 日本で結婚システムが一夫一妻性となったのはいつからかは不明だが、おそらく農耕の発現から、余剰資産の形成と保管ができるようになってからだろう。資産を所有することにより財産を血縁者に効率的に分配するシステムとして「結婚」は必要なものとなった。日本ではもう1300年前からすでに結婚は政略や財産、家系の維持のために行われ、個人の好き嫌いや恋愛感情などを求めてはいなかった。
 イエ(家)の存続としても不可欠だった結婚は、戦後から新しい価値観として根付かされた「自由恋愛のゴール」として姿を変えた。これらはアメリカからの輸入文化であり、契約により婚姻関係を結び、それを神に誓うという行為はキリスト教を由来とするものだ。現在のアメリカの離婚率を見てもらえれば分かると思うが、現代社会での一夫一妻制は随分と前から崩壊を迎えている。おそらく、原始のヒトはもっと緩やかな多夫多妻制だったのだろう。
 何でも多分に漏れず、アップデートを繰り返さないシステムは儀式化し形骸化していく。それは結婚も同じだ。

 過去数千年、結婚は二人の個人の結合というよりむしろ、経済的な生き残りを確保し、社会の結合をより堅固にするための、二つの家族の戦略的なパートナーシップだった。

「不倫と結婚」エスター・ペレル著 晶文社 2019年

 そもそも、生殖に心も体も引き寄せる超強力な脳内ドラッグシステムである「恋愛」は期限付きであることが科学的に解明され始めている。中毒症状に落ちた後は2年から4年の時間の経過により大量に分泌されていたノルアドレナリンとドーパミンは正常化し、オキシトシンに代わり脳内は子育てモードに入る。その期限が終わればヒトは「我に帰る」恋愛ホルモンの分泌が一生涯続くカップルも存在するが、むしろそれは稀な方だ。もしかしたら古代ではパートナーを適宜更新しながら生涯の相手を捜索していたのかもしれない。
 そう言えば、異性の体臭の好みは自分にない免疫システムを持つものを嗅ぎ分けているそうだ。古代の恋愛は魂の直感に素直に従い、免疫の強い子供を生み、恋愛期間が終わるとまた流浪し、別のパートナーを見つけていたのだろう。

 結婚は簡単だが、離婚が難しい国、日本。妻として夫としての関係性はすでに終わっているのに、家の維持や生活や子供を思うがあまり離婚を選ばない。これらは財産を占有するのが家長(男性)だけであるから起こることだ。つまりは現状の結婚システムの緩やかな崩壊の原因は男系社会が原因だ。
 その証拠に、未だに日本では女性が一度失った職を取り戻すのも大変で、女性が一人で(何なら子育てを行いながら)自活するのが難しい。男系社会のシステム内では自分と子供の生存をパートナーに任せざるを得ない状況が作られてしまっている。さらに、女性は妊娠から出産した後も多大なリソースを子孫に投入しなければならない。男系社会のシステム下では女性は不当な扱いを受けても生存のために我慢するしかなかったのだ。そりゃ女性が経済的自立できるようになると婚外恋愛が流行るわけだ。

 一方、婚外セックスは生殖との結びつきが極めて弱く、快楽中心であるため、自分自身のセクシュアリティを見つけ出し、それを発揮することができる。

「したいけど、めんどくさい」パッハー・アリス著 晃洋書房 2022年

 このような社会構造を取りつづけたのは武士(男子)たちであり、女性を財産、資産の一部として見る感覚が「釣った魚に餌をやらない」という精神構造として今も続いているのだろう。そんな時代錯誤な状態が続いていれば子供が自立し、自身の生存に問題がないことが確認された妻が夫を見放すのは当たり前の話で、熟年離婚が大流行りだ。パートナーに対して我慢し続ける必要がないことが少しずつ分かってきたようだ。
 そして同じ立ち位置にいる人と繋がれば、目を忍び、リスクマネジメントし、普段の生活に溜まった澱を払うことができると考えたのだろう。しかし、ひと昔前まではそういう人間たちを探す術はなかった。しかし今は、電子の海の中でその集まりを簡単に覗くことができる。今では結婚したパートナーが恋人を作ることを承諾する「ポリアモリー」すら出現しており、結婚相手は子育てや経済的なパートナーだけというカップルも存在する。

 実際に大手の既婚者専用マッチングサイトの登録者数は20〜30万人を超えている。男性たちは新たな刺激と精子のばら撒きを、女性たちは強力な報酬システムを再起動したいのだ。強烈な脳内麻薬を放出する「運命の人」「ソウルメイト」は確かに存在するが、決して「人生のうちで1人」ではない。今ではそんな運命の相手を探して寝ぐらから離れ、誰もがウロウロと徘徊している。しかも、寝ぐらは大切に保存したまま。この状況、契約という安心の上で何も知らず胡座をかく寝ぐらの領主たちは真実を知ったらどう思うのだろうか。
 そもそも「結婚」という公の約束により、永遠のパートナーを「所持」したと勘違いしては決していけない。人間の関係性は常に流動的で諸行無常であり自己を更新しながらコミュニケートすることは常に続けないとその意味をなさないのだ。
 「釣った魚に餌をやらない」結末は、契約に依存しすぎた怠惰と手抜きだ。
 「自由恋愛」のゴールは「結婚」では決してない。
 「自由恋愛にゴールなどない」のだ。
 リレーションシップを維持するためには、「対話と理解」が何より必要なことをもう一度考え直すべきだ。「我慢と忍耐」ではない。
 おそらく夫婦の関係性の悪化から、婚外恋愛活動に勤しむ者はこれからも増え続けるだろう。これまで隔絶していた檻からネットというツールを使って野に解き放たれるのだから。しかし、よく考えてみると夫婦二人とも「婚外」するぐらいなら、離婚し自由に生きることがお互いポジティブだろうに、という何ともおかしで不思議なパラドックス。

いいなと思ったら応援しよう!