人の内外と時の価値
貴女たちとは時の流れが違う。彼女にそう言われたことがある。
平均五十年ほどしか生きられない身体を持つ我々と、寿命をその身体以外が決定する奴等では、確かに時間の流れが違うのかもしれない。
彼女は私の描いていた彩色画を覗き見ると、手を合わせて目を輝かせていた。私の袖を引っ張って、どれくらい練習したのかを訊いてきた。大体十五年よ。それを聞いた彼女は目を見開いて、たった十五年でこんなに? ……と驚いてくれた。
絵を描かない人間からは、これがすぐ描けるものだと思われることも少なくない。ましてや十数年、絵なんぞに費やしていると漏らした時には、呆れられることがほとんどだ。十五年でこの出来か、と言い放つような奴もいたものだ。だから、彼女の大きすぎる反応はとても新鮮でおもしろかった。
あの驚嘆は彼女の人柄もある。が、種族によるものもあるだろうと私は考えている。
会話の所々で感じていた違和感。それは、時間の感覚が我々と異なるということ。
彼女の友達が書いた本には、我々と奴等の時間の差異は、その流れの早さだと記載されていた。
時の流れの感じ方が違うかどうか。それは確かめようがない。話を聞いて考えるのは出来ても、主観である感覚を比較することは難しい。であるなら今、事実と確定させられるのは、その時間の価値だ。
種族や、それによる身体の違いが原因で、一秒や一年の大きさが変わることはない。問題はそれらに感じている価値だ。
私が彼女の肖像画を描いている時、いつもより筆が乗らなかった。それは上手く描いてあげたかったから、というのと……モデルの彼女が動き回って、何度も描き直すことになったからだ。その間、彼女は一度も私を急かさなかった。
しっかりと肖像画を描くなら、一か月くらいかかることが多い。私は専業で、せっかちで、おまけに当時仕事がなくて暇だったので……二週間もかからない内に完成させた。納品すると彼女は、大切にする、と喜んで受け取ってくれた。代金のことを訊いてきたので、そんなのはあなたから取らないと言った。すると彼女はこう返した。でもさっき、絵具は値が張るって言ってたよね、と。
そんな話、したか? 私は想起した。一週間前に遊んだ日、二週間前に彼女を描きはじめた日……。一つ思い出したのは、三週間前の彼女との会話。彼女に、私がどれほど絵具にこだわっているか、絵具がどんなに奥深いかを饒舌に伝えた日があった。その際、画材の値段について触れた思い出を記憶の片隅から引っ張り出した。
重要なのは、さっき、という文言。三週間前のことをさっきと表すのは適切ではないと感じた。だが、それ以外に思い当たる節もなかった。
微笑んで首を傾げる彼女の表情が記憶に残っている。とにかく、金は要らない。それだけ伝えて、私は夕飯の準備をはじめた。背後から、気前がいいね、と無邪気な声が聞こえた。
そして私は法蓮草を刻みながら、彼女の言葉を反芻していた。三週間前がさっきかどうかではない。彼女からすれば、三週間前はさっきなのだ。私が五年前を昔だと言えば、彼女もおかしいと思うのだろう。一日がどれくらい長いかは置いておいて、自分が一日というものの長さをどれくらいだと感じているか、我々は認識できるのか? その価値観が概ね同じである人間という種族とだけ付き合って生きていれば、抱かない疑問だろう。
意識的より無意識に取り組んでいた方が、何となく包丁が速い。そんなことに気づきながら、醤油を手に取った。いい匂い~……と彼女は、私の周りをうろちょろしていた。ひとつの法蓮草を刻み終わるのにかかる時間は、種族によって変わることはない。だというのに時間の価値感には差異がある。ネズミ、蚊などの小さい動物とゾウなどの大きい動物にも、それはある。そして違いはそれだけでなく、脈拍の頻度も違うそうだ。彼女の見た目や機能は人間と変わりない。そう考えたら、彼女の心拍数はどうなっているのか……気になってきた。
胸に手、当ててみていい?
あ、という後悔の音。え? という困惑……いや、ドン引きの音がほぼ同時になった。
初めて会った時より何倍も私を警戒した彼女。この狭い家で取れる最大限の距離を取られた。料理がしやすくなって、よい。
さて、我等人間と奴等は、ネズミとゾウとは比べ物にならないほど寿命の差がある。それなのに、睡眠時間も食事量も同じ。出生のしかたが我々と違うため、性欲は違うらしいが……それでも、論理的に考えて全く必要ないはずの性欲を、少しはもっている。不思議だ。
今現在、彼女の姿はまだあの時と同じだ。老化に疎い彼女は、いつまでも私を昔と同じように連れまわす。私もそろそろ、面倒になってきたのだが。しかし、私が平均寿命を超えて生きられたのは、彼女が色々な影響を与えてくれたからかもしれない。それには感謝だ。
思い立ち私は、ありがとう、と言った。すると彼女は何のことか分からないようで、鳩が豆鉄砲を食らったような顔をする。そんな彼女を放っておいて、私は夕雲を見上げる。
彼女にとって、人が生きて死ぬまでの五十年間は、どのような価値があるのだろうか?
私は五十年、絵を描いた。月並みな感想だが、長いようで終わってみれば短かった。彼女といると……長いとは何をもって長いのか。短いとはどれくらい短いのか。それを考える癖がついてしまった。
結局、まだまだ足りない。今の私が彼女を描いても、その魅力を半分も引き出せない。
もう帰ろう、と彼女は言う。らしくない。私の体調を気にしているのだ。彼女の時間感覚は私と違えど、人間の絶対的な寿命がどれくらいかは、彼女も解っているのだろう。今更柄にもないことを言うな、という風に嫌味を言ってやった。
あと一枚だけ絵を描いてほしいと彼女は言った。なんと、私が描かれた絵が欲しいのだという。三十五年経って、画材は進化した。長持ちするイイやつを使って、私の肖像画と、ついでに彼女も最期に描いてやろう。
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