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【随想】母が私を産んだ年齢になっていた。


気づけば、母が私を産んだ年になっていた。

24歳にして人生の伴侶を見つけた母。

その事実を噛み締めると、時の速さと焦りの味がする。

見合い婚で選択肢がなかったからと嘆く母が

家庭に参加しない典型的昭和人の父を前にして文句を垂れながらも

時折、幸せそうな表情を見せることを羨ましく感じる。


気づけば、あれほどなりたくなかった大人になってしまった。

また一人、同級生の名字が変わり、

タイムラインをスクロールする指の下には幸せがある。


片思いしたあの子は誰かの妻となり、

永遠の愛を誓い合った女性のインスタグラムをみると

隣で微笑むのは見知らぬ男性だ。


気づけば、身の丈にあった恋愛をするようになっていた。

告白は予定調和へと変わり、

恋に煩わされる夜を過ごさなくなった。


10代の頃、あの子とのメールに加算されていく

Re の二文字を追いかけながら、

その連なっていく文字並が親密度を表すのだと躍起になったり、

メールの更新ボタンを何度も押したりしながら

無駄使いしていた夜が懐かしい。


どうでもいい理由をつけてかわした赤外線も

意味を深読みして一喜一憂した絵文字も過去に沈んだ。


気づけば、人から言葉を貰わなくなっていた。

頻繁に更新されるラインのバッジは

企業からの一方通行のメッセージ。

ごく稀に来る友人の報告が
徐々に少なくなることに寂しさを感じなくなった。

パソコンを叩き、洗濯物を干して、入浴を済ませるだけで

人生の大半が終わっていきそうだ。


大切な人がどんどん僕をおいていく。

大勢から愛された祖父が生前、
死ぬときはどうせ一人だと言っていた。

だから寂しくないし、死ぬのは怖くないと。

それが本当なのだとしたら、

せめて祈ろう。



私を構成するすべての人たちが幸せでありますように。


おやすみ。



ここまで読んでいただき、ありがとうございます。今、心の傷を少しづつ癒しながら元の自分に戻れるよう頑張っています。よろしければサポートお願いします。少しでもご支援いただければそれが明日からの励みになります。