まあそれが私か
哲学者サルトルは、「人間は自由であり、常に自分自身の選択によって行動すべきものである」と言ったらしい。
私は、今の私はどのようにして形成されてきたんだろう。ちゃんと自分で選択して生きてきたんだろうか。
人に興味はあっても人と話すことが怖くて、誰かが何気なく言った一言で傷ついて、永遠に思えるような夜を過ごす私は、もはや私なのか。
保育園児の頃、部屋の隅に積み重なっている布団と布団の間に挟まって、真ん中で遊んでいるみんなを見ていた。小学校低学年の頃、本を沢山読んでいた。図書室に休み時間の度に行った。
それが好きだった。
寂しいとか、外で遊ぶ明るい友達を羨んだりとか、友達の数を気にしたりとかはずっと意識の外にあった。
小学校も高学年になってくると、うっすらと人からどう見られているかを気にするようになった。
本を読んで休み時間を過ごすことが、恥ずかしくなった。自分は友達がいないかわいそうな子なんだと自覚するようになった。
本を読まなくなった。
誰かにくっついて休み時間を過ごすようになった。
過ごす人がいない時は、目的地もないくせに廊下を歩いていかにもどこかに向かっているように見せたり、何回もトイレに行ったりした。
それから自分は自分の意思で生活しているのか、誰かから見た自分を生きているのか、なんだか分からなくなった。
今はあの頃は馬鹿みたいだったと思うし、また本を読む楽しさを思い出したし、そんな自分を孤独なんて思ったりしない。
でもずっと誰かの意識の下に自分が存在するような気がしてならない。
分かってる。自意識過剰だ。
まあそれが私だし、そう生きることにも慣れてきて、むしろそれが大人ってもんなのかなとも思う。多分みんなどう見られているかは無意識に意識していると思う。
でもちょっとだけ、あの頃、自分だけで自分を生きていた日々に戻りたくなったりする。
ただ自分だけの「好き」に正直だった日々に。
自分らしさなんて、考えたこともないほど自分らしかった日々に。
もう取り戻せないって分かってるからかな。
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