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私の好きなもの:Fantasyが始まる

Fantasyが始まる

2010年にリリースされたモーニング娘。の楽曲である。
作詞作曲はつんく♂

初めて聞いたときにサビの歌詞に衝撃を受けた

「ガラスの靴はこの手の中にある」

つんく♂さんの作詞に関して
たびたび「女の子の気持ちがわかりすぎている!」と
話題になるが、この曲もまさしくそうだ。

しかし、つんく♂氏いわく、作詞の過程で特別
「女の子だから」を意識しているわけではなく、
「男も女も、どちらも持ってる気持ちだ」
とインタビューかなにかで答えていた。

数年前の記事だったと思うし、
いまはまた違う答えが返ってくるかもしれないけれど、

女だから、男だからと、性別で分けて考えてないんだ
というのが印象的だった。

女の子だからきっとこう考えるでしょう
こういうものが好きでしょう
というものは歌詞だけではなく日常のどこにでも
いまだに溢れかえっていてうんざりする時がある。
(しかも、どれもみな無意識的なのだ)

どうしてつんく♂さんの歌詞がここまで女性に響くのか。
それはその歌詞に「女性」を「人」として扱っているのが
表現されているからではないか。

女性として感じる感覚ではなくて、人として感じる感覚。
それが鋭く表現されているのがあの歌詞たちなのではないか。

だからといってそれが露骨になっていない。
(ハロプロに提供された曲に限ってだが)
歌うのはアイドルの女の子たちで、
歌詞の目線も確かに女の子目線なのだ。
一見するとわからない仕掛けになっていると思う。

女の子を思っての歌詞なのか、
女の子という偶像を押し付ける歌詞なのか

多分きっと言葉にしてみると、すごく似ているのだ。
けれど受け取る側にとってみれば、
天と地ほどの差がある。

(包丁を手渡すときに、まったく同じ包丁でも刃がどの向きを向いているかで全然違う印象になるように)

Fantasyが始まるのサビは、
「ガラスの靴はこの手の中にある」のだ。

手の中にあるガラスの靴を、
どうするのも自分の意志で、自由なのだ。
履いたっていいし、壊したっていい
この靴が似合う人を探しに行ってもいい
もちろん、落として王子様を待つのだっていい。

自分の意志でどうにだってできる。

ファンタジーの通りなら、王子様を待つのが正しいのだろう。
けれど、いつの間にかその「女の子は王子様を待つもの」という
ファンタジーが現実とすり替わってしまった。

だから、これからは自分の意志で動き出すという
「ファンタジー」が始まるのだ。

一番目立った格好でビビットな道を歩きたい

凝り固まった「女の子」の価値観に対して
どうしてそんな重い鎖を 私に巻き付けるの
束縛やめてよ と宣言する曲だ。

シンデレラのように誰かに見つけてもらうまで
幸せになれない女の子なんていないのだ

……という感想はあくまで私個人の感想なので、
本当はこんな意図などなく書かれた曲なのかもしれない。
ただ勝手に妄想を膨らませただけである。

ハロプロを好きになってまだ間もない私の妄想なんて
薄っぺらく、間違いも多いだろうけれど、
この先ハロプロの魅力を書き記したいと考えたときに、
一番好きなこの曲を先に書かなくては
グループの魅力なんて書けない。

なによりこの曲をパフォーマンスしている最中のメンバーが
かっこよくて、
強くて、
かわいくて、
どうしようもなく、憧れの存在なのだ。

かぼちゃの馬車を正面に回して
Fantasyが始まる

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sumi
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