神様との関係をちゃんとした
◆ 神様の存在確認をしてみた
ごはんとか、痛いとか、ありがとうとか、さよなら、みたいに「神様」って、気づけば覚えていた言葉。
子供の頃は、仏壇とかお墓とか神社とかお寺とか教会とかお地蔵さんとか神棚とかの違いがぜんぜんわからなかった。
正直、今も精密にはわからない。
私は、なんらかの特別な宗教にも入っていないながら、お正月に初詣をしてクリスマスに浮かれ、厄年には厄払いをしてもらったりもする、神さま幕の内弁当みたいな感じを楽しんできました。
わりとそういう方も多いんじゃないでしょうか。
今は「神様」とか「神」って言葉自体も、ほとんどの人が気軽に乱用するというか、存在というか「何か」になっていて、こうして語るまでもないかなあと思ったりするぐらい。
昔は、もっとたいそうな形で使われていたのかもしれないし、今みたいにこんなに多くの意味はなかったのかもしれない。
今は、ちょっといいことをしたり、人の役にたったり、才能を発揮したりなどなどをした時に「神!」とか言ったりする。
そのうち「かわいい」と同じぐらい乱用するようになるのだろうか。
そうなっても、人々は、やっぱり軽々しく口にする「神」と、会ったこともない見たこともない確かな居場所はわからない「神様」は自然と分けて考えていくのかもしれない。
存在が不確かだからこそ、私は子供の頃、お守りの中が見たかったんです。
後ろめたい気持ちがありながらも、誘惑に勝てず、赤い布でできたお守りの袋を開き、中を見た時
「え、紙!」
と、ダジャレを言うつもりもなく言ったことを覚えています。
お札が入っていたのだけれど、正直、もっとすごいものが入っているんじゃないかと思っていたから。
さすがに神様が入っているとまでは期待しなかったけれど、神様の化身とか、神様の居場所がわかる手がかりとか、そういうものが入っているんじゃないかと思っていたんですよね。
あれ以来、たいそうなものに入った貴重そうなものを疑うようになってしまった。
水戸黄門で印籠を見せつけるシーンでも
「中にはどうせたいしたものは入ってないよ」
などと言ったら、あの中には万能薬のような薬が入っているんだよと教えてもらって、お守りより役に立つではないかと思ったことを覚えています。
やっぱりお守りの中など見るべきではなかった。
つまり、神様がいるかいないかなど突き詰めるべきではない。
そう思いつつも、時々考えてしまう。
考えるだけではわかるわけもなく、今回は行動に出てみました。
そのためにというより、たまたまとった行動が、神様の存在確認に繋がってというよな話です。
大丈夫。
あなたの心にいますよなんて、よくある都合のいいこと言いませんから。
神様との関係が、どうももてたっぽいので(笑)おもしろ話のひとつぐらいに聞いていただければありがたいです。
◆ 今日もお参りしなかった……
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