いじめっ子といじめられっ子
いじめられたことはあるか?
というふうに訊かれたら「あるといえば、あるよー」と答えている。
ただ、率先して話したことはないような気がする。
それはその過去が恥ずかしいとか思い出したくもないとかではなく、私の主観で勝手に「いじめられた」とか思っていたらあれだしな……と、いちいち考えてしまうから。
いじめっ子といじめられっ子という極端な分け方も、好きではない。
そもそも……
物を壊されるのはいじめ?
無視はいじめ?
話したこともないヤンキーの皆さんに突然とりかこまれて、暴言はかれるのはいじめ?
刃物を向けられるのはいじめ?(いやもうこれはいじめどころではないが)
嘘のウワサをながされるのはイジメ?
靴箱に「しね」「ぼこぼこにする」と、やたら筆圧の強い字で書かれた紙切れを入れられるのはいじめ?
などなど、されたことを考えるとまあいじめでしょうねとなりがちだが、いじめというより「相手が単にすごくへんな人」という見方もできなくもない。
しかも深くつきあってこれが始まるのなら、私のあれこれが悪かったのかなど考えたりするかもしれないけれど、ほとんどつきあいのない人や、会って挨拶だけした翌日からそれが始まったりすることすら。
中学生の頃、訊いたことがある。
「なんで私にこんなことするんですか?」
と。
すると
「理由とかあるわけないじゃん。ない」
相手は、そう堂々と答えた。
誰かを好きになる時、決定的な理由がズバリ見つからないのと一緒か……その嫌い版ってことか。
そう想像してみたりしたけれど「やっぱりこの人変な人だよな」と思うばかりだった。
この思考って、呑気なようで、実は安全バイアスをかけながら、心に折り合いをつけてなんとかやり過ごしていたひとつの技とも言える。
だからその思考は大事な武器だった。
そもそも、子供の頃の話で言うと、私の場合小学校を3回、中学校を3回変わっているので時々「いじめのようなもの」にあったのはしかたないかなーと思ったりもしている。
転校生なんて、すでにコミュニティが出来上がっているところに飛び込むようなもの。
飛び込まれた側からしたら、突然の刺激なわけだからワーワーなるのはしかたがない。
例えば、あんなに可愛い猫たちの世界だって、突然新入りが来たらギャーギャーなって大変そうなのだから、これだって普通のことなのだろう。
というふうに思ったりしてやり過ごしてきた。
だいたいどの学校に転校しても、先方側からしたら……
見たことのない人だし。
言葉は違うし。
持ち物も違うし。
ここのルールわかってないっぽいし。
先生は突然仲良くしろとか言うし。
もうこっちの友達グループはできあがってるし。
という感じで、ほとんどの人が静かにそっと戸惑っていた。
時々、堂々と戸惑って、物をかくしたり、わざとぶつかったり、嘘のウワサを流したり、無視したりなどという人たちも出てきたりして、とても面倒くさかったけれど、転校も何度目かになると「一生の付き合いじゃないんだし」と思うようになっていった。
時間が経てばできてくる関係性もあったし、先方から「あんときなんかごめんね」みたいな謝りがあったこともあったし、仲がいい友達がいた時期もあったし。
もちろん辛くなかったわけではないし、できればずっと楽しくありたかったけれど、そうでない時期もまあまああったという話。
なので、私の場合「いじめられたことがある」というより「変な人たちに見つかりやすかった」という感覚のほうが大きい。(むこう側からしたら、きっと私が変な人なんだろう)
変な人たちって、大人になると自然といなくなるのかと思っていたら、時々出くわす。
べつにめずらしいことでもなくて、私のまわりでも、それぞれのいろんなコミュニティで「えっ!」というような変な人に出くわしたというエピソードを聞く。
しかも、大人になっているので、変度合いが熟成されたものになっており、けっこう厄介だったりする。
でもその厄介な人たちも、働き、それなりに身なりを整えて、街に溶けこんでいる。
いるよねえ。
なんかでもそういうもんなんだよねえ。
どうしたってそういう人たちって消えないんだよねえ。
というふうに、善悪をつける以前に、一旦ひとつあきらめてしまうのもそう悪くないた対策。
だけれど、ある時、ある番組の打ち合わせで芸能人の方にこの考え方を誤解されてしまい「その考え方はおかしい」と、ちょっと怒られたことがあった。
つづき ↓
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