アイスの歩き食いで加害者になる
◆ 加害性というパワーワード
ツイッターでこのワードが今よく使われていますよと、勝手にトレンドを表示してくれることがある。
普段わりとスルーしてしまうのですが、最近そこに
「加害性」
という文字を目にした時に「いったいなにごと?」と思わず見にいった。
そして、その「加害性」とは、予想外のもので、最初ちょっとびっくりした。
「結婚式で幸せを報告、展開することに気をつけなければ(世の中にはいろんな状況の人がいるので)加害性をもつことがある」「いや、そんなこと言うのはおかしい」みたいな意味合いの意見たちが流れに流れまくっていた。
が、ことの発端になった元のツイートはそこまで極端に二分化するような意味合いのものでもなくて、論点がそれとは少し違ったものだったし「加害性」という言葉もない。
ただ、そこに「結婚式の加害性」という感覚を持って反応した方達があちこちでつぶやきはじめ、伝聞につぐ伝聞で「加害性」は私の元まで届いたということになる。
元の発言を渦に巻き込みながら爆走するほどまでに「結婚式」や「人の幸せ」というのは、人をざわざわさせるものなのか……。
人の結婚とか、正直そこまで大事件でもないし、幸せなら「よかったねえ」くらいな感じだけどな……と思いかけてから、一瞬、少しざわっとした。
いや、まてよ、ちょっと思い当たるふしがなくもない、と。
誰かの幸せに加害性を感じたとまではいかないまでも、妬むということはおそらくないまでも。
「なぜ、胸が少しだけ苦しいのだ」
と思うことがある。
例えば、ゴールデンウィークのような大型連休時に、ふいに街の交差点でまわりを見渡すと、家族連れやカップルや友達連れの方々が、ものすごく楽しそうに信号が青になるのを待っていることに気づくと
「う、なぜ私はひとりで、スーパーで野菜とキッチンペーパーを買って帰るのだ」
などと思ったりする。
「いいな」でもなく「なんだこいつらめ」でもなく、ぽつんと置いていかれたような寂しさ未満のこの気持ち。
ただ、これもいつもそうというわけではなく、自分の状況や気分次第なのでまあ勝手な話だ。
みーんないろんな時期があり、人生とはそんなものだろう、ということではおさまらず、もしも「休日の街の加害性」という言葉がくっついたら、私側も「え、私、普通に生きてるだけなのに被害者なの」と、辛い。
自分側だって思わぬことで加害者になりかねないし。
そんな思考を持ちだしたら、そのうちアイスの買い食いもできなくなる。
暑い日に「アイスうめー」と思いながら歩き食べしていて、しぬほどアイスが食べたいが食べられない状況にある人とすれ違ったら「なんだあの加害性のあるアイス歩き食いは!」と思われるかもしれないことになってしまう。
そんなこんなで、なんでもかんでも「加害」と「被害」に分け始めると、全員が辛くなるし、最終的には
「もうなにもしない」
というわけのわからない結論にたどりついたら悲しいコントだ。
そもそも、人生ってすべてがいつも自分の気分が良くなるようにはできていない。
だからいつも気分よくいたければ、自分で気分を良くするしか回避法はない。
なんちゃら「警察」とかもそうですが、人が人を気軽に裁くようになった息苦しい今、息がしやすく少しでも快適に生きるには。
私なりの方法を、心をこめて綴りますね。
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