酔い、従い、知り、進撃するということ

どうも、こんばんは。

「進撃の巨人」が完結いたしましたね。一言だけ申し上げさせていただくと、美しい旅路だった。
おつかれさま? だと寂しい気もするし、おめでとう? だとやっと終わったかよ感があるかなあなんて気もするので……「ありがとう」と言いたいな。

さて、#進撃の巨人というnoteさんから素敵なタグがご用意されていたので、せっかくなので少し語りたいなあと思います。アニメ未放送部分のネタバレは致しません。あくまで、全体を通しての話をしようかと。


と話を始めつつ、私は「進撃の巨人」に関しては、皆さまに胸を張って公言できるほどのファンではないと思っています。話のあらすじを説明せよと言われても、あの複雑で壮絶な物語の中身の三割も正しくお伝えできる自信がありません。まとまった時間を取って復習する誠実さも奮い立たせられそうではありません。

うん。実を申し上げますと私、基本的にそういった「壮絶」な物語に苦手意識があるのです。歴史だとか社会だとか、大きなものどうしが入り乱れる話を受け止めるのがあまり得意ではない。自分のちっぽけさに逃げ出したくなってしまうから。

……いやいや、貶しにきとん? という話の流れになりつつありますね(苦笑)ほんとひねくれた話し方しかできんなわたしゃ。

ちゃうんすよ、お待ちくだせえ。あたしはこういうふんぞりかえった経由を通らなければ、何かを真に尊敬することができないんっすよ。


「進撃の巨人」は、巨人と人、人と人、国と国と、決して小さくはない単位のものどうしが戦う物語でした。
しかし同時に、個人を見なくてはならない物語でもあったと思うのです。

そして、大きな物語を倦厭してきた私にとって「進撃の巨人」は、初めて出会う世界をもたらしてくれた漫画でした。


私はあの物語の、登場人物の多くにずっと少年少女のような無垢さや、わがままさがあるところが好きでした。ガビが特にキツい。エレンやライナーはまだいいんですよ。主人公側として長いこと見守ることができていたから、どんなひどいことしても読者側も同情しやすい。でもね、ガビは難しいよね……ねえ。これは、まあ、アニメで放送済みとはいえあまりにショッキングな出来事ゆえ記していいものなのか迷ってしまうんだけど……あの人を、ねえ…………

でも我々は、あの子を完全否定してはいかんと思うのです。あそこまで行くことはなくても、誰にだってあるよ。無知ゆえに、大切なものを主張したいがゆえに、自分にとっての敵を過剰につくりだしてしまうこと。

小学校の教科書で天下統一を目前にした織田信長を自害に追い詰めた悪役のように描かれていた明智光秀が、数年後に見た歴史情報番組で信長の悪政を唯さんとする英雄として語られていたことにショックを受けた経験を、今でも覚えています。歴史は、どれほど懸命に語り継いでも風化していくものです。その曖昧さを補うときには、少なからず都合の良い妄想が他人によって加えられるものです。
そもそも、当事者ですらそこにあった全てを正しく説明することは不可能だし、何なら無意識のうちにでも美化してしまうものです。
大人の私から聞く言葉としては大したことのない話になってしまうとは思いますが、これってなかなか忘れがちなものでして。

ガビも、その影響を顕著に受けていた子どもの一人なのでしょう。声高に責めるべき人ではない。責めるのならば、彼女にものを教えた大人も、そもそも「もの」を引き起こした過去の人間も、もっともっと過去の人間も責めなければならない。そんな不毛な連鎖を続けていたらアルミンに呆れられますよ。「殺す殺すって、君はそればっかりだね」。

ガビほど、諌山先生に「名誉マーレ人」という作品中のある一つの立場を背負わされたキャラクターはいないのではないでしょうか(キングオブ不憫は鎧さんに譲りますが)。
「進撃の巨人」の登場人物はそうやって、巨人や国、神など、様々な大きな組織を象徴し、その存在への無知に警鐘を鳴らしていたと思います。
それが、重たくて。巨大なものから逃げ続けてきた私の背にさえ深く刺さったのです。


それからもう一つ。この物語には、私が読んだ漫画の中でおそらく最も深い衝撃を受けたセリフがありまして。ぜひそれを伝えさせていただきたい。
第69話「友人」にて、瀕死のケニーが当時の壁の王ウーリのことを回顧して、リヴァイに語ったことば。

「みんな何かに酔っ払ってねぇとやってらんなかったんだな……みんな……何かの奴隷だった……あいつでさえも……」

彼のセリフはこの物語の象徴になっていると思います。神の奴隷、権力の奴隷。復讐の奴隷、愛情の奴隷。そして、自由の奴隷……
確かにみんな、それぞれの信念に則って、誰かを守り、誰かと戦ってきていました。自分の意志を遂げるための矛盾が、何度も繰り返されていました。
それは、どうしようもないことでしょう。私たち人間は何人も、死ぬその時までそれぞれが創りあげてきた脳味噌からの指令からは逃れられないのだから。私だってそうです。何かの奴隷になって来なければ、とうの昔に死んでいた。

「進撃の巨人」はその恐ろしさと苦しさと、やさしさを、世界中の人間を丁寧に正直に描くことで訴え続けてきた貴重な物語であったと私は強く信じています。


戦い続けてくれて、巡り続けてくれて、ありがとう。
またいつか、どこかで会える日を夢見て。互いに生きるための進撃を選び続けてゆきましょう。

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