父の最期は孤独死
父は7年前に他界しましたが
1人自宅で亡くなっていたので
孤独死、ということになります。
尚且つ、
発見されるまで10日ぐらい
かかったので
遺体は腐敗が進んでいて
妹と妹の元夫以外、
見ていません。
葬儀屋さんから
見ない方が良いと言われ
見ませんでした。
妹は
「見ればよかったのに」と
言ってましたが
当時その勇気はありませんでした…
この状況からすると
父は誰にも看取られず
しばらく発見もされず
なんとも気の毒で痛ましいと
思われるかもしれません。
変死という扱いになるため
警察が調査に入り
検死があるため
父の亡骸は数日間警察にお世話に
なりました。
父の親戚や元会社の同僚や
友人、知人など
父と関わりのある人の
ところに警察から連絡が
行きます。
生前父はどんな人だったのか?
人に恨まれるような人であったか?
など、聞かれるようです。
お父さんは人に恨まれるような
人では無かったと
皆さんおっしゃってましたよ、と
警察の方が教えてくれました。
近所の方も
「とても紳士的で優しくしてもらいましたよ」と。
妹は実家の近くに住んでいるのですが
近所のかたから
「お父さん、孤独死で
誰にも看取ってもらえなくて
可哀想だったわね。」と言われたらしく
その話を
目を潤ませながら
話す妹に、
近くに住んでいながら
気づいてあげられなかったことを
責めているように感じたので
その方の価値観なので
気にするのやめようと
話ししてました。
わたしは
自分や妹を庇いたいわけではなく
父の性格を知っているので
誰にも看取られず、しばらく発見もされず
父は自分が可哀想な人だとは
思ってはいないと思うし
こういう最期であったことを、
悲観もしていない、と
思います。
孤独死というのが
ひとりぼっちで、寂しくて
不安、というネガティブなイメージを
持たれている人が多いのか
そしてわたしも
孤独感にネガティブなイメージを
強く持っていたから
前回のような記事を書きましたが
孤独感というのは
孤独という状態に対する心理なので
孤独は寂しい、不安
だから可哀想という
感じになる心理もわかりますが
父としては
寂しい最期になってしまったなあと
なんで、俺はこんな目に遭わなければならないんだと
嘆いているとは
思えないのです。
なぜそう思うかというと
父が
亡くなった日は
年に1回兄弟家族
総勢11人が集まる食事会でした。
父は
食事会の後帰宅して
寝るためにいつものように布団に
入って心臓が止まったのだと
言われています。
心不全であろうという診断。
今思えば
あの日の父はいつもと違うことを
していました。
お酒をたくさん飲んでいたのは
変わりませんが
怒って、泣いて、笑って
謝って、愛してると言って
ありがとうを伝えて
喜怒哀楽ぜんぶ出してました。
酔っ払ってからんでくることはありましたが
(かなりウザイ)
それだけでなく
いきなり涙ながらに弟に謝ったり、
甥っ子に説教したり、
帰り際、娘の手を握り抱きつこうとしながら
愛してるよと言ったり、弟のお嫁さんにも
ありがとね、と手を握りながら伝えたり
みんなで、じーちゃんどうしちゃったんだろうね、と
話してました。
「オレも余命いくばくもないからなあ」と
言っていたので
わたしが「何言ってるの、みんなで
旅行行くんでしょ。」と
言ったら
「そうだな、IKU、旅行の企画頼むよ、
旅行代はぜんぶオレが出すから心配するな」と
話してたのです。
最後の晩餐でしたが
伝えたい思いを伝えた
父は不幸な死だったんでしょうか。
みんなにご馳走して
思いを伝えて
旅立った父。
仕事にエネルギーを
注いできた人生だったと思いますが
生前
「俺は定年したら家族のことにエネルギーを注ぐ」と言っていました。
わたしとしてはお酒辞めて欲しかったですが…
後で知ったことですが
妹のことをサポートしていたり
親族のことも気にかけ
博愛主義のところがあるので
困った人に手を差し伸べたりしていました。
父の最期がこんなにカッコいいとは
思ってもみませんでした。
家族のことにエネルギーを注ぐと言っていたのは
本心だったんだなあと思いました。
呑兵衛で、若い女の子(店員さん)に
すぐちょっかいを出す
エロじじいぐらいにしか思ってなかったのに。
でもちゃんと
エロの痕跡は残していきましたよ。
父の遺体を発見したとき
父の枕元には
水着姿の若い女性の
雑誌のグラビア写真の切り抜きがありました😅
何冊かの雑誌からピックアップして気に入ったものを
切り抜いて
何枚か束ねた状態でクリップに綺麗に留めてあり
使い古してる?感じがありましたので
長年愛用していたと思われます😅
モデルさんのヘアスタイルが
一昔前に流行った髪型、水着だったので。
遺体の確認に立ち会った妹は
消防署のかたにそれを渡され
恥ずかしくてさ〜と
言っていました。
もちろんその切り抜きは、
棺に納めましたよ。
父の葬儀は
どんよりとした暗いものではなく
父のモノマネをしたり
父の武勇伝を話して
笑ったり
悲しみとありがとうの温かな気持ちの
こもった葬儀となりました。
葬儀が終わりみんなで
居酒屋で父の思い出話に
華を咲かせていたら
わたしたちの座ってる席の
ところだけ
電気がついたり消えたりし始めたので
「じーちゃん(父)
オレの酒が無いぞ、と
文句を言ってるかもよ」と言い
慌ててお酒とおつまみを用意して
供えたら
電気のチカチカが止まって
正常に戻った
こともありました。
お別れは悲しいけれど
しんみりしすぎないように
父は笑いも残してくれたのかもなと
思います。
遺品整理で実家の片付けを
親族みんなで集まって
父の面白い癖も発見して、みんなで
笑ったり。
父の死後
相続の件で兄弟で話し合いをしたとき
わたしが
「これからはちょこちょこ
集まろう」と話をして
その年の夏に
初めて、兄弟家族総勢10人で
那須に旅行に行きました。
それ以来年に1度みんなで旅行に行くのが
恒例行事になり
妹の家に集合して食事会したりと
楽しく過ごしています。
相続のことも弟がぜんぶ仕切ってくれて
とても良い形にしてくれました。
「お父さんだったらどうするだろう?
って考えながら決めたよ」と
弟は言いました。
時々、弟は父のモノマネをしますが
憑依してるんじゃないかというぐらい
似てる時があります😆
相続は
揉めることなど一切無く
父のことでは
弟と妹が色々やってくれて
本当に助かりました。
長女であるわたしは
何もせず、あれやろう、これやろうと
声かけるだけ😅
父と母の死から、
どんな最期になるのか、
それはわからないけれど
どんな死に方とか
いつ死ぬか、考えても
答えはでないので
でもいつか必ずここをお終いにする時がきます。
だったら
今をどう生きるか、どうありたいか
を自問自答し
色々あったけど楽しかった!
いろんなこと体感できた!
ありがとう!って
旅立ちたいと思いました。
父もまさかみんなとの
食事会の夜に
旅立つとは思わなかったと
思いますが
「あれ?オレ死んじゃったよ。
あははは、」と
言ってそうな感じがします。
父の死後
叔母(父の妹)に
「〇〇さん(叔母)から見て父って
どんな人でしたか?」と
聞いたのですが
「一言でいうと真面目な人
堅物、物静かな人」と言っていて
わたしたち兄弟から見る父の
印象とはかけ離れていて
父、母ともに
私たちが思う人とは真逆。
父と母の知らない部分しか
無いなと思いました。
遺品整理のときに
父の繊細さや独特の几帳面さに
気づきましたが。
前回、魂としての母との再会で書きましたが
夢で見た父は
穏やかで物静かで紳士的な人で
驚きました。
おそらく夢で
見た父が本来の父の姿なんだろうな、と
叔母の話を聞いて改めて
思いました。
夢で見た父と母が
わたしの思うのとは
かなりかけ離れていましたから
この世で生きていたときは
どれだけ自分を抑えてきたのか
苦しい思いもしてきたんだろうなと
思いました。
父と母にあの世で再会できたら
新鮮な気持ちで関われるかもしれません。
また会うときまで
両親に
この世でのたくさんの素晴らしい体験の
お土産話ができるよう
人生を楽しみたいと思います。
読んでいただきありがとうございます。