【創作一句】薄氷を踏むやう洋琴の舞台
春の俳句大会「宇宙杯」が盛り上がってますね!
わたしも、その流れにのっかって、
こちらの企画に参加して作文を書きます。
薄氷を踏むやう洋琴の舞台
元・ピアノ講師兼ブライダルシンガーという職業柄、音楽のことを無性に書きたくなるときがあります。
ピアノ教室で出会った個性豊かな生徒たちや、指導で行き詰まったこと、コンクールに挑戦した生徒たちの背中。
印象に残った挙式、リハーサルや本番でやらかした失敗談。
そんな、音楽にまみれた日常を書くとき、立ちはだかる壁が、いつもありました。それが、
「こちらが当たり前に知っている、音楽についての知識」
です。
ピアノ講師の働き方ひとつ取っても、
月の5週目は休み
年間のレッスン回数は決まっている
生徒のレッスンは週1回ひとり30分
などなど、こちらが「当たり前」と思っていることは、ピアノ講師の仕事をしているひとがまわりにいなかったり、ピアノ教室に通っている(いた)ひとが周りにいなかったり、そもそも音楽経験のない人々にとっては、未知の世界だったりします。
そのことに、恥ずかしながら市内のカルチャースクールで文章の書きかたを学ぶまで、ちっとも思い至りませんでした。
たとえば、ある曲を聴いてリズムを指でとり、
1・2・3・4と拍を数えることだって、
「聴音」という、メロディーを聴いて音符で書きとる経験の有無、もしくは曲の始まるまえに、ワンスースリーとカウントを取る習慣の有無などに、だいぶ左右されることなのですね。
あれは中学生の頃でしたか。合唱コンクールの歌の練習をクラスで行う日に、わたしの伴奏と指揮の子の腕の動きが、何度やっても合いませんでした。
曲の始まるまえに拍子を数えて、リズムに乗る。
こんな単純きわまりないことが、どうして、できないのかと、わたしは、たいそう不思議でしたが、いまなら少しわかる気がします。
わたしが球技を何度やってもできなかったのとおなじく、その子は、何度やっても音楽はサッパリ、だったのかもしれません。
誰にだって苦手なこと、ものはあるし、ほかの人にすんなりできることも、わたしにはできない。逆に、わたしにすんなりできることも、ほかの人には難しい、ということは往々にしてある。
そこにパッと気づけたなら、きっと、心の通いあったステキな音楽を奏でられたはず。惜しいことをしたものです。音楽の楽しさを分かち合えなかったあの子に、申し訳ない気持ちです。
わたしが幼い頃から、なんの疑問も持たずにやってきた音楽経験は、だれかにとっては異国の文化を体験するのに等しい、未知で異質な経験だったわけなのですね。
さて、3ヶ月前から始めた俳句でも、過去の職業病とも取れる「音楽を詠みたい疼き」が再発し、
「薄氷」なる季語で、ピアノコンクールのことを詠もうと試みました。
最初に作句した、出すのも恥ずかしい拙句が
こちらです。
ちなみに、洋琴(ようきん)とはピアノの和名です。
ピアノコンクールでの演奏は、まるで薄氷を踏むようにハラハラ。そのすえに起こってしまったミスタッチに肩を落とす。そんな情景を表したく詠みました。
……が、1ミリも伝わらず。
いま見ても、伝わらないよなぁ、とため息が漏れてきます。
このめちゃくちゃな句に向き合ってくださったのが、「俳句幼稚園」ひよこ組担任・紫乃先生です。
句に添えられていた自句解説の情報を入れずに、拙句に率直な疑問を呈示してくださいました。
そのときに、紫乃先生からいただいたコメントを整理してみます。まず、疑問点。
なぜ鍵盤に薄氷が?
パリン、なにが割れた?
誰の肩が落ちた?
それから導き出される結論
拙句の表現では、ステージでピアノを演奏する情景までは思い浮かばない
複数の推敲句も添えていただき、「どうしたらその思いを伝えられるか」と、この句をつくったわたし以上に、気持ちをよせてくださる心づかいが、たいへん身に染みました。
小説やエッセイでぶつかった壁が、俳句にも。
音楽に向かう気持ち、すなわち専門分野を、誰にでもわかるように表現するのは至難の技なのだと、しみじみ。
いただいた推敲句、そして拙句とにらめっこした結果、このように推敲できました。
ピアノの演奏中、ちがった音の鍵盤を押してしまう。それが「ミスタッチ」。
ピアノを弾いたことのないひとにも、伝わるか。
念のため言葉を調べてみると、キーボードのタイプミスという意味でも使われる、とありました。
これなら大丈夫だろう。
ホッと胸をなでおろしたのも、束の間。
紫乃先生から、このようなコメントをいただきました。
たしかに、人と人が触れあうときも「タッチ」と表現しますものね。
「ミスタッチ」の相手が人に思えてしまうのは、推敲した拙句に「オペラかミュージカル」の情景が出てしまっている、とのことで。
ななな、なるほど。
句が、ピアノから声楽へ飛んでしまいました。
17音という限られた文字数で、「音楽」という専門分野を伝える。
なんとまぁ、とてつもなく難解なパズルなのでしょうか。
俳句の奥深さと、「音楽」を伝える難しさを、季語「薄氷」から感じさせられました。
結局、ただ、その状況をそのまま説明しただけの句しか浮かばず、もう完全に季語、いや自分に負けました。それが、タイトルになっている、完成した下記の句です。
薄氷を踏むやう洋琴の舞台
まだまだ不出来なのですが、これ以上の推敲句が出てこないのです。あれから、ひと月たつというのに。
「音楽」を、俳句で伝える。
音楽を聴かない日々を送るひとにも
音楽はサッパリわからない、というひとにも
その楽しさが
しっかり伝わる句を詠みたいです。
紫乃先生が拙句に、作者以上の熱量で向き合ってくださったおかげで、作句における大きな目標ができました。
詠んだ句に、「これは、どういうことですか」と、まっすぐ疑問をぶつけてくださる紫乃先生はじめ、作者の思いを汲んだ推敲句・推敲案をくださる俳句幼稚園の皆さま。
いつも、ほんとうにありがとうございます。
俳句を楽しく学び続けていられるのは、皆さま方のおかげです。
【4/6(水)追記】
タイトル句を、
紫乃先生に推敲していただきました!
「季語を主役に」というのは、ただ季語を目立たせればいいというものではない、と学びました。
人をもてなすように、というのも少し違うかもしれませんが、真心をこめて扱うものなのだ、と。
肝心の推敲句は、コメント欄にて↓↓