感情を抑え込んでいた私が気づいた『論理だけでは足りない理由』
私は感情を表現することがとても苦手です。
うれしいときも、悲しいときも、それをどう言葉にすればいいのかわからず、黙り込んでしまいます。
結果として、誤解されることや、自分の意図が伝わらずに悩むことも少なくありませんでした。
子供の頃は特に、感情を出すことは恥ずかしいことだと思い込んでいました。
その頃は、友達からのちょっとした「いじり」を「自分をすごくバカにしている」ことと(勝手に)解釈して、よく泣いていました。
泣いているのを見られるのも嫌だったし、慰められることも恥だと感じていたし、何よりもそんなことで泣いている自分が恥ずかしかった。
だから、感情を抑えるようになったことで、感情表現の仕方がわからなくなっていったんだと、今になって思います。
そんな時だったからこそ、感情が不要で淡々と自分の考えを積み重ねて答えを出していける算数・数学をどんどん好きになっていきました。
(逆に作者の心情を問われる国語はとっても苦手で嫌いでした。)
自分の感情は論理があって初めて出てくる主従関係のようなものだと考えるようになっていました。
そんな私でしたが、今は、感情と論理は主従関係ではなく、ましてや対立するものでもなく、むしろ対等で共存するべき存在なのだと感じています。
就職して働くようになったときの私は、感情を抑え論理的でいることを良しとしていました。
任される仕事の内容も、淡々とこなせるドキュメント作成や資料作りが多く、割とそつなくこなせた方だと思っています。
ただ、年を経ていくうちに、他の人と会話し調整しながら仕事を進めることが主となる立場となったことで、いろいろ悩むことが多くなっていきました。
論理だけでは本当の納得は得られない!
「こうこうこういった背景があり、こうだからこれをする必要があります。だから協力してください。」
これで納得して快く協力してくださる人ももちろんいるのですが、中には「納得はするけどさぁー。でもねー。」と難色を示す人もいて、どう対処したらよいかわからず、モヤモヤを抱えたまま仕事を進めたこともありました。
そんな中で、この論理だけでは本当の納得は得られないを決定的に感じさせられた出来事が社内の昇給プレゼンテーション試験でした。
元々論理的に出来事を並べ、問題点抽出からその改善方法の提案を資料にまとめることは得意でしたが、そこに自分の感情を上手く乗せることができず、また人前で話すことへの苦手意識から、試験官に納得感を与えることができませんでした。
当然試験は不合格でした。
その試験がきっかけとなり、自分を変えたいと思って学んだコーチングによって、
感情が人の行動を後押しする力となる
ことに気付けたことで、自分が考えることが好きな理由は、実は、算数・数学が好きという感情があったからなんだなと思えるようになりました。
だからこそ、今私は、
ちゃんと考えること(=論理)を大切にしつつ、心からそうなりたい(=大きく感情が動いた)と思える理想の未来を自分の力で叶えられる人になってもらえるサポートをしていることに喜びを感じています。
以上。
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