ペルーでの日々の記録

日本の教育のすごさ

任地248日目。金曜日。

あっという間に1週間が終わりですね。クリスマスの25日がペルーは休みだったので曜日感覚がなくなった週でした。

しかしながらペルーの地方行政は年末がなし。

お休みは1月1日の元旦のみです。仕事納めの概念も、新しい年を迎える準備も、ないのかもしれません。

といっても私は日本人、やはり新しい年を迎える準備くらいしたい派です。ということで、明日明後日(12月28日、29日)の2019年最後の土日、お掃除をしたり1年をふりかえったりして優雅に過ごそうと思います。


ところでタイトルに移りましょう。

ペルーに来るまで、日本の教育がすごいとはあまり思ったことはありませんでした。むしろマイナスなイメージを持っていました。

均一化した個性を消す教育、生徒の「なぜ」に応えない教師、「従順な子」のみに育てる教育、過剰労働の先生、サービス残業の教師の環境、止まないいじめ…。

日本の教育は世界的に見ても誇れるものだとは思っていませんでした。

しかしペルーに来てみると、自分が受けてきた教育、日本で行われている教育が、悪いところばかりではなく、むしろその教育があったからこそ世界に誇れる人材が育っているともいえなくもないことがわかりました。

それは、日本人が誇っていいところだなと思います。


今日は1つの動画を紹介します。(スペイン語Ver.ですが英語Ver.もあります)


小学校では当番制で給食や掃除を行っていたと思うのですが、まあ正直当たり前と思っていたんですよね。

誰かがきれいにしないと永遠にきれいにはならないわけだし、自分が食べたものは下げるし、配膳する人がいないと配膳は永遠にされないわけだし。

でもそれが私の上司的には目をキラキラさせて聞く内容なんですよね。

そうか、日本は放課後に15分くらいで掃除をするのか!

自分たちで給食当番を行うのか!

そういう反応をされました。

どの学校でもこの当番はあったと思うのですが、例えば中学校や高校でも「○○委員」などで自分の担当があったりして、それを基本的に責任をもってやり遂げますよね。

例えば毎週水曜日のお昼ご飯の後は○○委員は集合して話し合うだとか、イベントになると担当する委員会が指揮をとったりだとか。

ペルーにももしかしたらあるのかもしれないけれど、日本ほど組織されたり当番化が進んでいるのってたぶん結構すごいことみたいでとても感心されました。

しかもこれは何かの授業の一部ではなく、そういうものとして疑うことなくプログラミングされているんですよね。

自分が子供の時、掃除当番に「?」なんて浮かばなかったし、当番だからやって当たり前じゃんという感じ。そんな小中高を過ごしていました。

でもこれが世界的には当たり前じゃなかった。


町中にゴミ箱が全くないのに日本の道にゴミが落ちていないのはいろんな環境下で学びがあり習慣がつき、そうなっているのだと思います。

その一部の要素に、この動画で紹介したような掃除当番、給食当番があって、知らず知らずのうちに、掃除することは気持ちい、自分のものは自分で片づける、というような意識が育って行ったのかなと、今思うと感じます。

そしてその知らず知らずのうちに日本の教育(家庭内教育も含む)の中で育った意識が、サッカーワールドカップ日本代表の試合の後のサポーターのごみ拾いみたいな行動につながり、私の今目の前にいる上司が羨ましそうに眺める光景になっているのだなと感じました。

だからそういう意味で、日本の教育ってすごいんだなあと。

現在ペルーの学校を訪問していて見る光景は、時間になっても生徒が集まらなかったり、そもそも先生が来ていなかったり、1日先生が休みでも子供たちは来ていてなぞの時間が生まれていたり、掃除の時間なんてもちろんなく、お昼休みに食べたゼリーやポテトチップスの袋はその辺に捨てられていたり、。

そう思うと、チャイムが鳴ったら席について先生を待つ、「終わりの時間(授業が終わって帰るまでの時間)」が来たら後片付けを済ませて「さようなら」の時間まで待機するなど、そういう日本の教育現場での当たり前ってすごい、と思いました。

そしてそれこそが、私の上司や任地の何人かの大人が憧れる日本の姿であり、私に手伝ってほしいことであるようなのです。

ペルーにいると日本を否が応でも客観視します。本当、そういう意味でも毎日学びです。

活動の中で、言葉で説明するだけではなく、このようなビデオを見せながら、私に出来ることをやっていきたいなと思います。

それでは。

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