さよならをするときにその人が判る
任地11日目。今日は土曜日、お休みの日でした。
「分かる」と「解る」と「判る」
「わかる」は「分かる」「解る」「判る」とあると思うのですが、今回はあえてこの「判る」をチョイス。
今日ここで書くのは、さよならをするときにその人がどんなものを当てにしているのかが「分かり」、その意図を理「解」でき、そしてその人が「判る」なあという話。
海外において誰をどこまで信用していいのか
見知らぬ土地にいると人の善悪をどこまであてにするかという問題が生じます。
もちろんすべてを信じて運命に身を任せる勇者もいるのでしょうが、私は(自己分析のなかでは)割と警戒心が強いほうでまあまあなところまでいかないと信頼しません。
見知らぬ土地に来たらその警戒心はさらに加速。この人は信用できる、信用できないのジャッジをしてしまいます。それは一種の自己防衛。変な犯罪や事件、面倒ごとに巻き込まれたくないという理性がおそらく働いています。
そして「日本人」として海外にいると、相手が
何を欲して自分に接近しているのか
何を欲して自分と話したがっているのか
何を欲して質問をしているのか
それらにアンテナを張ることは自己防衛的に言えば必要不可欠なのかもしれません。
友達になりたいのか、仲良くなりたいだけなのか、日本語を学びたいのか、ただ日本に興味があるのか、そこらへんにいたから話すだけなのか、私がもっているお金が欲しいのか、私を利用して悪事を働こうとしているのか。
そしてどんな質問が飛んでくるかも今は警戒してしまいます。
距離の近い人は会って10秒で名前や勤務先、電話番号も聞くことがあるため身バレをどこまでするべきなのかを判断するからです。
これは普通なのか、警戒しすぎなのかわかりません。ただ私はかなり面倒くさがりなので面倒なことはごめんなのです。男女関係とかめちゃくちゃ面倒なので特に海外では女性よりも男性の方をより警戒します。
そして信頼できる人と関係を築きたいけれど、私の場合信頼できるかどうかの最初のジャッジはさよならをするときになされがちなので、そこに関係構築の矛盾があるのです。
日本語でちゃんと説明できています、か?笑
今日の出会い(ジュース屋さん編)
今日も2人ほど仲良く話させてもらった人がいました。
町の屋台のジュース屋さん。友人を待っていて暇だったので清潔そうな屋台でパイナップルジュースを注文しました。彼は私がスペイン語を理解できるかを見極めながらパイナップルジュースをコップに注いでくれました。
そして「仕事の話」「出身地の話」「この辺の人の話」、そして「年齢」(年齢を聞くか~なるほどと思いました。私は26なのですが、彼は20歳でした。若い!笑)などについて話を。
そんな感じで話した後、
私が「ありがとう。じゃあね」というと
『うん!(会えて)よかったよ!またね!』と。
その時に、「(あ~~悪い人じゃなかったんだ、よかった)」となるわけです。笑
いい人だったならもっと信頼して話したらよかったな、私の態度、冷たかったかなーと反省するのですが、それはさよならするまでわからないので改善のしようのない後悔なのです、笑
今日の出会い(スーパーマーケット編)
スーパーマーケットにて、急に「ニーハオ」とすれ違いざまに言われたので
「NO!!!KONNICHIWA!私は日本人だよ!」というと
驚いた顔をしてひたすら「ごめん!!!知らなくて!!!てっきり中国人かと思ったんだ」
と言ってきた青年と出会いました。
仕事やなぜここにいるのか、誰と来ているのかなどたくさん質問する彼に言える範囲で応答。
あまりにもぐいぐい来るのでちょっと警戒しつつ
「じゃあね!」というと
最後にHolaの日本語の言い方を聞いて去っていきました。
そして「(あ~~またしても悪い人じゃなかったわ、よかった。。もっとちゃんと日本語教えてあげればよかった)」となるわけです。
「この人と信頼して話すべきか」は話し終わったあとにわかる
この人にどこまで伝えていいのかな?身を隠したほうが良い?それとも真実を伝えるべき?どこまで信頼して話すべきなのだろうか?と考えながらの会話。
そして最後にさよならをしたその「去り方」でその人は悪い人ではなかったと自分の勘で判るのです。
でもわかったときはどちらかが去った後。
人間関係というのは面白いものですね。
私はそんな感じなのですが、これを読んだあなたはいかがでしょうか?
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