「私はペルーで2年間自分なりに過ごそう」と腑に落ちたことについて書こう
任地133日目。火曜日。
今日はオフィスでずっと事務作業をしていました。
提出する活動計画表はほぼ完成!あとはスペイン語バージョンを作って上司に共有してOKもらえれば大丈夫そうだ。
明日の環境教育第2回目の資料もまあまあできた。今日の夜最終調整しようと思う。
今日はタイトルの通り私はペルーで2年間自分なりに過ごそうと腑に落ちたことについて書こうと思う。
実はペルーに来て嫌なほど知ったことがある。
それは、自分が思っているよりも自分が弱いということ。
特にメンタルの面で、こんなにも自分の嫌なところが見えるとは思わなかった。
まずは異文化理解という面で、文化人類学をやっていたという驕りがあった。自分はペルーの任地の人の文化とか習慣とか、ちゃんと理解できるもん、きっといろんな人と仲良くなって楽しく過ごせるもん、2年後帰るときはみんなで大号泣するんだもん、的な感じで思っていた。
でも全然そんなことなかった。いろんな人のいろんないやなところが見えて、歌とかダンスも全然好きになれなくて、コミュニケーションの取り方とか挨拶とか男女の距離感とか、謎に早口すぎるところとか全然好感が持てなくて、今に至る。あー自分ってこんなに不器用で愛嬌なくて人との距離感とるの下手なんだなーって思った。
文化人類学やっていたって、人間としての強さはまだまだだった。頭で思っていることと心が思うことがこれだけ距離があるなんて思わなかった。
そして他人との比較という面でも反省点はつきない。
特に首都研修期間後の自分が一番嫌いだった。ペルーは他の国と比べ数週間も早く任地入りしたため、スペイン語の勉強も不十分だったし、リマなんて全然見れていないし、連絡所的なのがペルーにはなくて先輩隊員と交流することもほとんどなくて、なんかめちゃくちゃ損した気分だった。協力隊生活を損得で考える自分が何よりも嫌だった。
他の国の同期は楽しそうに出かけていたりして、語学研修も1か月以上あったりして、うらやましかった。
首都研修がみんな終わって落ち着いたと思ったら次は宿のことで比較をはじめた。明らかに自分よりいい宿に住む人を羨ましがったし、自分の家にないものをないないと嘆いた。
そう思ったら次は任地とのかかわりで悩んだ。遠くの国の明らかに任地の人と仲良くなっていて成果もあげていそうに見える隊員が羨ましかったし、そうできない自分を悔やんだ。
配属先の受け入れ態勢も本当に任地によって違う。自分が一からコネクションを作って友達や知り合いに声かけて移動手段も探したり用意してもらったりしてようやく現場に行ける任地もあれば、何も言わなくてもウェルカム体制で、着任初日からその配属先の車でいろんなところに連れて行ってもらえる任地もある。
私はいわずもがな前者なので、どうすればいいんじゃーーー!って思っていた(これは今も思っている笑)。自分は悪くない!配属先がウェルカムなところも配属先が頑張っているだけで私だって頑張っていないわけじゃないもん!って自分を正当化するのに必死だった。
成果についても、自分の要請(活動のこと)のあまりの孤独さにどうすればいいんじゃーーー!って感じだった(これも今も迷宮入りだ笑)。
そんな自分のいろんな弱い面を見て自分で一番ショックを受けていた。
こんなにも異文化が受け入れられなくて、こんなにも人と比較をしてしまって、そしてこんなに勝手に落ち込むのかお前は、と。笑
補足をちょっとだけしておくと、青年海外協力隊における他隊員との比較はまああるあるかもしれない。というのも、手当や待遇、期間、そういったものってほとんど一緒。なのにそれ以外の部分で差が出てくるからだ。まあこればっかりはめぐりあわせと自分の選択した職種と運とって感じだし、ないものねだりだから何とも言えないのだけれど。。(もうひとつ補足しておくと、ペルーだって、いやペルーこそ他国隊員から羨ましがられるくらいの任国なのだが。)
まあとにかく、上に書いたように自分、めっちゃ弱いんです。笑
ないものを嘆いてばっかりで強く自分を保つことが全然できなかった。精神的におこちゃまだったなーって思います。今でも成長しているかわからない。
でも最近そういうのが結構どうでもよくなってきていて、もう知らんわ!自分は自分で自分の任地でできることを精いっぱい頑張るし、せっかくご縁のあったペルーを全力で楽しむもーーん!!と思いつつある。
どうでもよくなるきっかけがおばあちゃんの死だった。
8月の頭に父方のおばあちゃんが94歳で亡くなって、とてもショックだったし帰国も考えた。父とのやり取りがあったり母方の叔父とのやり取りがあったりで結局ペルーに残ることにしたのだけれど、その一連の出来事が一段落して、自分が悩んでいたものとか、比較してきたものとか、そういう自分の弱さを嘆くところとか、そういうの全部、どうでもよくなった。
たぶん、私はまだペルーで2年間暮らす心構えができていなかったのだと思う。だからちょっとしたことに心を揺さぶられて芯がなくて、もろかった。
でもおばあちゃんの死に直面したり周りの大人とやり取りをしたことで、自分が残りの1年半ちょっとペルーで過ごす覚悟が、遅ればせながらようやくできた。
言葉にするのは難しいのだけれど、自分はいろんなものを犠牲にしてここに来ているんだなということとか、日常の些細なことって、おばあちゃんがいなくなっちゃったことにしてみれば大したことないなーとか、私がこっちでどんな生活をしようとも、温かく見守ってくれる家族がいるんだなーとか。
なんかそういう感じで自分が今ペルーにいることにすごく納得ができて、覚悟もできて、
それなら、せっかくの青年海外協力隊生活、私はペルーで2年間自分なりに過ごそうって腑に落ちたのだった。
世の中、どうにもならないことってある。
でも命ある限り、JICA海外協力隊の隊員生活はどうにでもなる。
自分次第でめっちゃ楽しくもできる。躓いてしまうのは自分の真面目さや変なストイックさ、負けず嫌いなところ、余暇を余暇として楽しめないところ、そういうところが足を引っ張るからなんだと思う。
スペイン語、そんな話せなくったっていいよ。
ホストファミリーといい関係築けなくたっていいよ。
四六時中任地にいなくていいよ。
自分の好きな分野でできることができればいいじゃん。
そう思うようになった。
それを前提として、あとは自分がどこまでそれらを追求するか。どんな協力隊生活にしたいのか。そっから加点式にしていけばええやん、て。
真面目で負けず嫌いなところが前面に出て、思うように動けないなら、まずは自分が一歩踏み出せるレベルまで自分を連れて行ってあげよう。
そうすることでこの隊員生活を自分のペースで楽しめるなら、それでいいじゃん。って思えるようになった。
これがいいとか悪いとかはわからない。でも自分の心の持ち様としてそれが今の答え。そして心なしかそこに出来た余裕で、少し活動が客観視できて、ちょっと今はなんだか楽しくなってきた。
昨日書いた通り、あとは半年経過に向けて9月いい感じに楽しみながらそれなりに学びながら過ごそうと思います。
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