ペルーでの日々の記録

カルチャーショックと協力隊のジレンマ

任地180日目。月曜日。

日頃からカルチャーショックはあるはずなんだけれど、きっとそれも慣れたのかもしれない。今日は特別「えぇぇ…そうなんだ」と思う案件に出くわした。

前から畑の調査をしたいと思っていてでもなかなか難しい事情があった。配属先の非協力、移動費がない、同伴者がいないという環境で治安も問題視される場所に1人で行くのはNGであるし、行きは良くても帰りの交通手段がなくて取り残される懸念があったりして行けなかったりするのだ。

つぶれてしまったのだけれど、先週以前に2回ほど農作物の収穫のお手伝いに出かけようとしていた。でもドタキャンが続き、なかなか行けず。

今日は別案件で、同僚が畑を周るということで少し最近仲良くしている集落の農業組織の10か所の畑を見てきた。

同伴してくれた農家2名が、おみやげにパパイヤとマンゴー(エドワルドというすでに旬になった品種)を持たせてくれた。ありがたくいただいて、役場に帰ろうとすると、同僚があまりいい顔をしない。

どうしたのかと聞くと、「これらをもって役場には行けないの。」とのこと。

ふむふむ、、なぜ???!


どうやら、「お土産を持って帰ってくる」=「自分のために収穫しに行った」ということになり、それは仕事ではないからNGらしい。上司や役場の人は良く思わないんだと。

もちろん調査や収穫の手伝いなら仕事として認められるのだが、持って帰ってくることがアウトらしい。自分が頼んだわけではなく、農家がくれたのなら一応OKではあるのだが、農家がくれたという事実はイコール「自分が頼んだ」と解釈され、つまり仕事として認められない。

「畑に自分が食べるために収穫しに行ったんだね。」ってみなされる。

それがアウトなんだって。

まあ…わからなくはないのだけれど。

同じ仕事をしていても、お土産の作物を持っているか否かでその仕事が否定されてしまうのかと思った。もし役場に戻る気があるなら必死にお土産を断る必要があるということだ。うん、なるほど。。


そういえば、先週以前の収穫の手伝いの相談をした時も、上司に

「収穫して食べるんでしょ~~??」ニヤニヤ

と言われていた。

いや、それは知らんけれど…と思っていた。もちろんもらうのが目的でないしそもそもフルーツはこちらはそこまで高くないからもらいたいから収穫を手伝うなんてそんな気はさらさらない。本当に心から見学、手伝いをして彼らの仕事を理解したいと思っていたのだ。

なのに口を開けば、食べるんでしょ~~?と聞かれていた。そういえば、。

ようやく、その質問の意味が分かった。その質問には「NO」と答えなければいけなかったみたいだ。


もし私が新卒で何事にも全力で頑張ります!!というあの若き頃の勢いをもっていたら、これらのことは何ら気にならない。

ただ数年の社会人生活を経て変にねじ曲がってしまったせいで仕事の仕方も癖が出てきた気がする。良くも悪くも。


私はそもそも、同じ成果を出すのならなるべく少ない時間、少ない労力で行いたい人間である。

つまり、長く時間を掛ければその分いい成果が出ると思っていない。

ある程度効率は見たいところだし、消耗するだけの労力は使いたくない。(協力隊の話ではなく、そもそもの働き方の話です。)

だから(本来は)1分1秒を無駄にしたくないし、それに適した環境があるならわざわざそれを揃える。

だから、日本もそうだけれど、「オフィスに長くいる人が偉い」という考えが本当に好きでない。「決められた時間に働く」というのもちょっと縛りがきついなと思う。フレックス大賛成派だ。


しかしところがどっこい、今の活動の環境は「役場のオフィスにいることが正義」なのである。たとえ働いていたとしても私がオフィスを長く離れることは好まれないみたいだ。

私からしたら、現場も見ずにずっとオフィスにいるだけでは何もできないと思っているため、やはり外に出たい。(正直のところ、オフィスワークも家での方がはかどるなら家でやりたい。)

しかし私の配属先では「成果を出すこと」よりも「役場に時間通りに来て時間通りに存在していること」の方が重要である。

もしかしたら私に端から成果なんて期待していないから、どうせ何もできないならオフィスにいてほしいのだろう。まあその上司としての気持ちはわからなくはない。


協力隊活動に効率を求めるのは間違っているのかもしれない。私も求めたいわけではない。そもそも私は協力隊生活は非効率の塊だと思っているし、ただ住民とボーっとする時間さえ、そこに一つも無駄はないと思っている。

ただ本質的にいい仕事をすることが目的なら、私はその目的を達成する手段を効率化させる。その程度の話だ。

ただずっと役場にいると時たまとても非効率になることがある。そしてその非効率が、「本質的にいい仕事をする」という目的を達成できなくしてしまうことがある。そうした場合、私は目的を達成するためにオフィスから抜け出したい。


しかしそれはアウトなのだ。



本質を考えてしまうと、そうなの?それでいいの?って思うことが本当に多い。

例えば目の前の相手に本当に理解してもらうのよりも、適当に人集めて研修会してスマホでその光景を撮影してFacebookに載せるほうが彼らにとっては「仕事」なのである。(つまり、誰一人理解しなかったとしても、イベントを企画して実行して写真撮る、そのプロセスが大事なのだ)

畑に行って様々な調査をしたり収穫の手伝いをして農家の仕事を理解するよりも、役場のオフィスにいるほうが「仕事」なのである。(そしてこのとき畑からお土産を持ってきた場合、仕事どころか完全に遊んできたと思われるのだ。)


私からしたら、役場のオフィスでひたすらやることなしに、ぼーっとしているよりも、お土産は持っていたとしても畑に訪問して農家から話を聞いたり畑の詳細を歩いて理解したり、仕分けやパッキングの仕事を手伝ったりするほうがよっぽど仕事だと思うのだが。。それは途上国の現状を理解できていない若者のわがままだろうか。


お土産の件は日本もそうなのでしょうか?笑

とにかくカルチャーショックだった。

「本質」を考えすぎてしまうとこの町にはなじめない。

しかしJICA海外協力隊としては「本質的に」任地にアプローチすることが求められる。


このジレンマは、なかなか苦しいものであるなあと思った。


そんな日でした。ちゃんちゃん。



【追記】

自分の書いたものを見返していて思った。

本質的に何も変化を生み出さないうわべの仕事が良しとされる傾向があるということなのだけれど、それでも何かを生み出すこともきっとあるのだろう。

ここの仕事を否定したいわけではなく、あくまで1協力隊員の活動のジレンマ?的なものとご理解いただければと思います。


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いくみ 
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