リマ、土曜日な1日。
ペルー380日目(/6日目)。土曜日。
本日は携帯電話の契約と博物館とご飯に行ってきました。
ペルーはもともと隊員が40名ほどいたのですが、半分くらいは首都リマに住んでいました。それ以外の半分は北や南やアマゾン地域に住んでいました。例えば都市名で言うと、クスコ、タクナ、イキトス、イカ、ピウラなど。もちろんほかにもたくさんの都市ありまして、点々と広く色んな隊員がいました。
私はピウラ隊員だったので、基本はずっとピウラにいるのですがなんせリマまでが、、、遠い!!笑 1000キロくらい離れています。マンゴーが良く穫れる大地なので宮崎県的な場所~と日本にいる方には紹介したりするのですが、東京から宮崎までも1100キロくらいなので同じくらいですね。
つまり私が住むのは日本でいう宮崎県の、県庁がある街から1時間半くらいの農村地域みたいな場所です。そうなってくると、なかなか首都には上がりにくいのもなんとなくイメージつくでしょうか??。ということで、このリマ生活というのは大変貴重なのです。✨
本日は携帯電話の契約は必要不可欠として、行ってみたかった人類学博物館に行ったのでその話をします。結論から言うと、、博物館、やってませんでしたーーー。残念!以前に天井が落ちたらしく(え、天井?!)、まだ復旧作業中らしいです。コロナだからとかではなく。博物館に予約して行くと、開いてないけど歴史のブースだけなら見ていけるよといわれ、歴史ブースをみました(無料)。11つの部屋において展示されていました。
難易度の高いスペイン語で書かれているので詳細は理解していないですが、内容としてはスペイン人が征服した15世紀以降、南米の人々の暮らしはスペイン人の管理下におかれていたのですが、そこからどう独立していったかという部分についての展示や説明がありました。
立ち上がる人も、みんなもともと住んでいたインカの人ではなく、インカの人やもともと住んでいた人とスペイン人の混血の子孫でした。そのため、スペインからの独立といったときにどういうアイデンティティでそれが行われるのかなというのが気になったところですが、19世紀に独立した時は、すでに「管理するスペイン側(主にスペイン人)」と「立ち上がるペルー側(主にスペイン征服前から先住の方とスペインと先住の方の混血)の立場がある程度明らかになっていたようです。
そんな展示を見た後レストランへ。ホテルから博物館までタクシーを使っていたので、タクシーの運転手さんにお勧めのご飯屋さんを聞いていました。博物館の近くにおいしいペルー料理屋さんがあるということで、そこでランチタイム。
ペルーを代表する料理のカウサにセビーチェが乗った、一石二鳥のペルー料理をこれまたチチャモラーダ(紫トウモロコシのジュース)と合わせ、いただきました。
帰りは行きたいお店が2つあったのですが1つはなぜか今日だけお休み。もう一つはお昼休憩中で入れず。残念。歩いてホテルまで帰りました。