年齢は私の勲章
今年もまた一つ歳をとった。
歳をとるのが嬉しく感じられるような歳(例えば、19から20になるとか)は遥かに超えているのだが、私はこの度のお誕生日を誇らしい気持ちで迎えた。
私が患っている双極性障害は、自殺による致死率20%という病気である。5人に1人。どれだけ辛く、どれだけ死にたいと強く思うか、を身をもって体験している私にとっては、非常に重い数字である。今のほほんと毎日を過ごしている私であるが、ちょっとしたきっかけでその20%になり得るであろう。そういう病気である。
自殺の何が悪いんだ、と聞かれても、私は議論出来るだけの知識も持論も持たないが、自殺が周りの人を傷つける行為であることは間違いがない。何とか避けたいとは私も思っている。症状が安定している時は「死にたいなぁ」と思ったとしても、それを実行するような衝動性はないが、体調が悪く錯乱状態に陥っている時は、「死にたい、生きていても意味がない、周りの人だって私なんか死んだ方がいいって思っている!」と思ってしまうので、具合が悪くなり出したら何とかのらりくらりとその気持ちをかわすしかない。まぁ、筆舌に尽くし難い辛さである。
一つ歳をとるということは、その気持ちに打ち勝ったということだ。ただ生きたんじゃない、生き抜いたんだ。だからとても誇らしい。年齢は私の勲章である。
もう一つ私は歳をとる前に大きな挑戦をした。
好きな人に好意を伝えたのである。お返事についてはスルーされているので玉砕と言ったところであろう。
私は大学生、大学院生と5年間好きな人がいて、それを伝えることすら出来なかった(バレてはいた)。その後も好きな人が出来ると、バレてはいるが、はっきりとは伝えられず、結局見ているだけ、ということばかりだった。そんなことを繰り返しているうちに30代も後半になった。
その私からすれば大成長である。
恐らく、ある種の自信のようなものが自分の中にあるからこんなことが出来たのだろうと思う。
若い頃の私は、自信とは「私なら出来る」とか「私は魅力的だ」とか「私は私が好き」とか、そんなことを心の底から信じられること、だと思っていた。そういう風に信じて、何やら大きなことに挑戦したり、人に告白したりするんだと思っていた。そんな自信は今もってない。
歳を重ねた自分にあるのは「まぁ、失敗しても何とかやり過ごせるでしょ」という自信である。失敗すれば辛い思いをする。それは若くても歳をとっても変わらないが、何度も何度も失敗して来た大人たちは、そこからまぁいつしか何とか立ち直れることを知っている。だから挑戦出来るのである。
上手く行くことばっかりじゃない。でも自分ならその結果を受け止められることを知っている。そんな自信は大人の勲章だ。
新しい一年も若かった頃に出来なかったことに挑戦していく一年にしたい。
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