のらりくらりと生きていく
何せ結婚にはずっと憧れていた。
幼い頃から好きな遊びはおままごと、将来の夢はお嫁さん。子どもだって大好き。お掃除もお料理も(体調が良い時は)得意である。趣味でお皿を集めているが、これも結婚への憧れが高じたものだと思っている。
その自分がまさか30代後半になっても独身だとは思っていなかった。
私はこのことについて、何か理不尽な不可抗力が働いたに違いない、と思って、ずっと腹立たしく思っていた。
病気が分かる前は、恵まれない容姿のせいだと思っていた。十分可愛い女の子が自分の容姿をあれこれ言って自己嫌悪に陥る例も多いが、私は「ブス」とか「デブ」とか言われていじめられることも多々ある程だったので、選ばれない原因はこれに違いない、と思った。双極性障害と診断されてからは、そうか、病気のせいか、と思い至った。今、服薬をしている状態の私は割と穏やかな性格なのだが、20歳前後から発症して服薬を始めるまでおよそ20年近くは、そりゃあもう激しかった。いつも何かに怒っていた。これじゃあ上手くいくものもいかなくなる。
容姿についても病気についても何て運が悪いんだろう、貧乏くじばっかり引く人生だ、と嘆き悲しんでいた。「人は知らず知らずのうちに最良の人生を選択している」なんて言ったりするが、こんな良いことが何もない人生に最良も何もない。
29日から大掃除を始めたが、あれもこれも気になって終わらない。30、31は4時起きで頑張った。もちろん、料理などする余裕はない。そこでうっすら、旦那様や子どもの面倒を見ながら、大掃除をして、お節まで準備するなんて、世の主婦はすごすぎる、私には出来ない所業だ、と思った。
大晦日には毎年近くの百貨店で焼き鳥を買って実家に帰って来るようにと言われている。甥と姪の好物なのである。彼らのお昼に間に合うように実家に帰ったら、姉が私に子守りを任せてずっとお昼寝をしている。甥も姪も可愛いが、四六時中話しかけられて、片時も一人になれない。甥は将来世界一のお金持ちになって、ハワイ旅行へ連れて行ってくれると言って、その計画に大忙しだ。私はハワイへは行ったことがないのだが、ハワイまではどんな経路で行くのか、飛行機のファーストクラスはどんな具合になっているのか、どの席に座りたいか、ハワイの車は右ハンドルか左ハンドルか、外国のホテルは何階建てか、スイートルームはどんな風になっているのかと質問責めだ。大掃除でヘロヘロの私には随分とこたえた。私には口うるさい親父もいるので、それも鬱陶しい。
かくして私は1日の朝、「疲れました、帰ります」と言って自分の部屋に戻って来た。
結婚をして、子どもを持って(もう子どもを産むのは難しい歳だが)、集めて来た可愛い食器を使って美味しい料理をこしらえて…そこにある種の幸せの形、ずっと私の欲しかったものがあるのは間違いない。が、きっと私には耐えられない。自分の子どもだったら、どれだけ疲れても帰る場所はない。
「神は乗り越えられる試練しか与えない」って言葉もよく聞くけれど、きっと、家庭を持つことは私には乗り越えられない試練だったんだ。
こうなったら神に与えられた試練の方は乗り越えなければならない。それは「のらりくらりと定年まで仕事をする」ということである。私ははっきり言って仕事が出来る方ではないが、しのごの言っている場合ではない。一人になれる自分の城を守るため、「辞めます」の一言だけは言わないで、降りかかる困難は適当にかわしながら生きていくしかない。助けてくれる人はいないのだから。
一生独身、そんな運命を受け入れよう、と思ったお正月だった。
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