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うつが教えてくれた幸せの在り処

 最近、人間関係の極意みたいなものを会得したような気がしている。

① 人を攻撃しない
② 人の行動を攻撃だと受け取らない

 私の母親は全く共感性のない人で(祖母がアスペルガーと診断されていたので、そのことも彼女の特性に繋がっているかも知れない)、私は幼い頃から親の愛情を感じられず、大人になっても愛着障害をこじらせていた。しかもADHD傾向があり学校には馴染むことが出来ず、時にいじめられた。20歳前後には双極性障害を発症し、自分で抑えることの出来ない感情の上がり下がりで周りにいる人を傷つけて来た。社会人になっても何度となくいじめを受けた。人間関係ではつまずいてばかりで、数え切れない涙を流してきた。
 そんな私が今極意①、②を日々当たり前に実践しながら、毎日を幸せに過ごしている。

 例えば最近こんなことがあった。
 とある職場のイケメンに仕事の雑用を丸投げされた。彼がお礼に何か買って下さるというので、お菓子ではなく、手元に残るしょうもないキーホルダーみたいなものが欲しいとリクエストした。私は彼の大ファンなので、時々見て彼を思い出せるような物なら本当に100均で買った物でも何でも良かったのだが、彼がこう言った。
「お皿(私はお皿が好きでコレクションしている)を買ってあげようと思ったんだけど、めちゃくちゃしょぼい物しか見つからないので、もうちょっと探します。待ってて下さい」
 わざわざ私の好きな物を探して下さるなんて…と嬉しくて舞い上がったのだが、それから夏休みが終わり、何度か週末をまたいだ。この先どうなるか分からないが、あぁ、そっか、きっとこの口約束は守られないんだろうな、と私は思っている。
 前の私ならこれを相手からの攻撃ととらえただろう。約束をしておいてそれを破って私を傷つけるなんて信じられない!こんなに傷つけられたんだから、私も相手に復讐してやる!と息巻いたに違いない。でも今の私はこう思っている。
「ま、イケメンが私のこと喜ばせようって思ってくれた気持ちは本物だから、いっか」
 人の行動を攻撃だと受け取らない、を実践しているのである。

 こんな風に穏やかに、幸せに過ごせるようになったのは皮肉なことに数年前うつに陥ったからである。
 それまでの私はいじめられても、認められなくても、誰にも分かってもらえなくても、どれだけ辛くても、いつでも人から好かれたくて自分なりに精一杯頑張っていた。頑張らなきゃ、みんなから嫌われる、今より酷い目に遭う、と信じていた。
 でも私はうつで頑張れなくなってしまった。頑張れなくなった私の前に現れたのが転勤してきた前述のイケメンである。彼は何故だか知らないが、とにかく私に優しかった。いつも支えてくれた。私は何のお返しも出来なかったが、笑顔で側にいてくれた。私は彼の態度から、親から受け取ることの出来なかった「無償の愛」を感じた。お返しのいらない無限の愛情だ。うつでなかったら何とかお返ししようと頑張るところだが、うつが私をまさに何にも出来ない赤ちゃん状態にしてしまったのである。そのことで私は愛着障害を癒すことが出来た。
 それからも、薬の調整が上手く行くまではなかなか穏やかな気持ちを手に入れられなかったが、今は安定している。

 心が安定してみると、見えてくる世界は全然違う。あぁ、自分ってこんなに周りに大事にされているんだなぁって思う。周りから見た私の状況は全く変わらないけど、こんなに幸せに感じる。幸せってこんなに側にあったんだ。あ、オチが『青い鳥』になっちゃったな。

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