薬で失う「自分らしさ」の話
最近、人間関係のトラブルに巻き込まれた。
親友がお母様と喧嘩したことが発端だった。そのことを親友がお姉様に相談したところ、「Ikumiちゃんが思い込みでお母さんの話を曲解してそれをあなたに告げ口したせいであなたがお母さん不信になっている」と言われ、親友のお母様も「Ikumiちゃんとはもう縁を切る」と言っているのだと言う。
最初にそのことを親友から聞いた時の感想は「アホらし」だった。昔懐かしの絶交である。
私を通してしか親友が知り得なかったであろうお母様の言動を私がバラしていたことは事実であるので申し開きのしようがない。「思い込みで曲解した」という部分については異議を申し立てたいところであるが、まぁ細かいところはどうでもいい。スパイの主張など誰も聞いてくれないだろう。何だか親子で話し合うべきところを私を悪者にして逃げ回る態度こそが関係が上手くいかない真相のような気もするが、まぁ、他人の親子喧嘩に躍起になって参戦することもあるまい。どうやら親友は私のことを信じてくれているようなので、お母様とお姉様に縁を切られる件についてはどうでもいいか、と思った。
そもそも私の頭の中はここ最近、好きな人にいかにアプローチをしようか、どれくらい、またどのように勇気を出そうか、でいっぱいいっぱいであった。上手く行く確率がいくばくあるものなのかはさっぱり分からないが、相手の気持ちは相手に聞かなきゃ分からないのだから、当たって砕ける覚悟を決めよう、そう思い立った矢先の出来事だったのだ。
しかしながら、私は自分の妙な落ち着き具合に言い知れない気持ちの悪さも感じていた。
只今、30代後半を爆走中の私なのだが(え?恋はいくつになってしても良いでしょう?)、20歳前後では双極性障害を発症していたと医師は予想している。私はもっとずっと前から発症していたように思う。つまり何が言いたいかと言うと、私は尋常の枠には収まらないくらいの「激情型」であり「劇場型」の人生をずっと歩んできた、ということだ。長い付き合いのある人から欠席裁判で勝手に悪者にされ、縁を切るとまで言われて腹の立たない人間ではない。
体のどこかにあるはずの怒りが、薬(レキサルティ)のせいで出てこられなくなっているんじゃないか、と思った。
そんな話を統合失調症でエビリファイを飲んでいるお友だちにしたところ、彼女もものすごく悲しいことがあったのに、充分に悲しいという感情が湧いて来ないのだという。妙に落ち着いているのだそうだ。
「自分らしさって私たちが思っていたものの正体って病気だったんだね」
と彼女は言うのだが、私は果たしてそうなのか、なかなか納得が出来ない。
何もない時に上がったり下がったりするのは病気だと思う。そして、大したこともないのに、否、大したことがあったとしても死にたいなどと騒ぐのは間違いなく病気だ。でも、何かあった時にどう反応するか、は個人差があって然るべきで、私はずっと激しく反応するタイプだったのに、それも全部病気のせいで、今の落ち着いた私が本当の私、なのだろうか。ならば私は本当の私をまだ知らない、と言うことになる。こっちの方が楽だから、それで良いのだろうか。
次の診察で、その疑問を主治医にぶつけてみようと思う。
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