抱っこひもに隠れた発達リスク
目を疑うような海外製のだっこひもを
わたしが初めて見たのは2009年のこと。
赤ちゃんの視界が閉ざされ
足は虫のように広がり
全体重が赤ちゃんの腰にのり・・
当時、その抱っこひもを使用するお母さんは
「海外製で抱っこの負担が減ってすごくラク」
と自慢気にとてもうれしそうに使っていた。
しかし私自身ふくめ保育士集団からみると、
赤ちゃんの体に大きな負担がかかっていることは一目瞭然だった。
(一方で発達への理解が乏しい保育園では、
ラクな育児グッズとして率先して勧めていた現実もまたある。
ここには保育士の質の課題もあるのだが…これに関してはまた。)
そしてあれよあれよという間にたった数年の間に、そういった抱っこひもがお母さんたちの間で大流行し、それを使うことがメジャーになっていった。
街ゆく赤ちゃんたちがとんでもない状態で抱っこひもに入れられていることが、世のフツーになるのは本当にあっという間だった。
そして日本のメーカーの抱っこひもまでが一気にその仕様へと変わっていき。
これは大変なことが起きていると感じた。
さらには首の座っていない赤ちゃんでも縦抱きにできるという装備まで追加され、
“育児がラクになる”は次々と親たちを魅了していった。
ちなみにこれは抱っこひもに限った話ではない。
10年ほど前から警鐘の声をあげている専門家もいたが、発達のリスクに対するそれらの訴えは、親をとりこにするキャッチーな文言の影でいとも簡単にかき消されていった。
消費者が喜ぶものを作る
消費者が求めているものを作る
売れるものを作る
それが市場だからメーカーだって善意だ。
子どもの発達を脅かしていることにはもちろん気づいていない。
だから誰がいいとかわるいの話をしているわけではない。
子どもの発達の答えはすぐには出ない。
心身の症状や問題として顕在化するまでにはどうしても年月がかかる。
でもそうなってからでは遅い。
ここにきてようやく、
子どもの発達の“おかしさ”と現代の育児環境の関係に対する研究もちらほら始まっている。
しかしながらエビデンスとして明らかになるまでには、まだまだ時間がかかるだろう。
でもだからといって、後からついてくる化学を待っているのではなくて
一人ひとりが今、目の前の子どもをよく見つめてみてほしい。
私が感じている赤ちゃんたちの身体発達の様子は、また改めて記事にしたいと思っている。
見る目が変われば考え方が変わる
考え方が変われば子どもの未来は変わる。