武藤彩加|発達改善 脳育トレーナー

一人ひとりにあった運動にによって脳は育ち改善します。 人の生物学的、発達の本質を発信。 大人も子どもも自分らしく育ちあえる未来になりますよう願いをこめて‥*

武藤彩加|発達改善 脳育トレーナー

一人ひとりにあった運動にによって脳は育ち改善します。 人の生物学的、発達の本質を発信。 大人も子どもも自分らしく育ちあえる未来になりますよう願いをこめて‥*

最近の記事

現代育児はプラスよりまずマイナスを

五感を育てる教室 非認知能力を育てる教室 社会性を育てる教室 そういったふれ込みのものは、 子どものために一生懸命な愛情たっぷりな親たちの心をいとも簡単につかみます。 ここでお伝えしたいことは、 五感も、非認知能力も、社会性も 「育ててあげましょう」 と大人が意図的に作ったカリキュラムの中では決して育たない ということ。 たとえば 乳幼児がおとなしく座りいろいろなものを触らされ、五感の押しつけとでも言える状況や 親子でお行儀よくごあいさつの練習や お友だちと遊ぶ練習

    • 受動的な育児のススメ

      子どもの人生を豊かにしてくれるもの それは遠回りだと私は思っています。 先日読んだ本に これにつながるおもしろい事が書いてありました。 主体性が重んじられる現代において 受動的というとよくないイメージがありますが、 「passive 受動」と「passion 情熱」は、 どちらもラテン語の 「pati 苦しむ」から派生した英語なのだそう。 つまり 苦しみを受けいれ乗りこえることに情熱をもつ ということ。 「passive 受動」の中にはそんな「能動」が含まれてい

      • 子どもが「ウソ」をついたときの2ヶ条

        3、4、5歳と年齢がすすんで言葉でのコミュニケーションもふえてくると 大なり小なりウソも言うようになりますね。 「かわいいウソ」や「明らかにウソ」 と思う内容なら笑っていられるけれど、 ネガティブな内容のウソだと 大人としてはそれが真実か否かにとかく焦点がいきがちです。 そんなとき忘れないでいたいことが 2つあります。 まず一つは ウソを言った子どものこころにピントを合わせるということ。 そこにピントをあわせていないと 相手への敵意に変わることもあるでしょうし、

        • 日本の性教育のゆくえ

          この季節は、お子さんの運動会に行かれたかたも多いのではないでしょうか。 友人の子の小学校では 今年から徒競走を男女混合で行うようになったそう。 なんでも、 ジェンダーフリー(性別による差別からの解放)の観点からだそうで・・・ 一等はほとんどが男の子で複雑だったと言っていました。 とくにここ数年、日本の遅れた性教育をとり戻すのだといわんばかりに、 性教育の本質をわかっていない大人たちが こういった「的外れなジェンダーフリー」をあちこちで遂行していることが顕著だったりしま

          モロー反射を止めないで

          近年聞くことも増えた“モロー反射”は 赤ちゃんに生まれつきそなわった体の反射のひとつで、両手をビクッと広げる反射です。 実はこのモロー反射には 発達にとても重要な役割があります。 赤ちゃんは脳が未熟なので、 モロー反射によって無意識に体をうごかすことで、脳の発達をうながしています。 そして反射の動きを十分使いきると、 ドミノだおしのように自然と次の発達へとバトンタッチして、より高度な脳の使いかたができるようになっていきます。 しかし悲しいことに昨今は、 「赤ちゃ

          “Aloha精神”と“灯籠”そして私の信念

          日本時間の今日、アメリカでは5月の最終月曜日はメモリアル・デー。 戦没者をしのぶ日で、国民の個人的な追悼の日でもあるそう。 かつてメモリアル・デーにハワイを訪れた際、 愛する亡き人を想い、アラモアナの海に無数に流される日本の灯籠をみて、魂がふるえたものです。 今年もアラモアナには世界から5万人がつどい 日本の灯籠が流されたそう。 ハワイには有名なことわざがあるそうです。 “君栄えれば、我栄える” 私たちは依存しあっていて、 そして多様性があるからこそ海のように森の

          “Aloha精神”と“灯籠”そして私の信念

          「こないだも言ったのに」はすこやかな証

          子どもって一度注意したことを何度もなんどもくり返して、 「こないだも言ったのに・・・」 そう思うことがよくありますよね。 心配になるかもしれませんが、注意されたことをくり返すのは健全に育っているあかしなので大丈夫。 一度注意されたことはもうぜったいやらない。 そんな子は一見“物分かりがよくていい子” と思われがちですが、 それは単に「言われたからやらない」 あるいは何らかの「トラウマ」があったり… の不健全な状態。 子どもはうまくいかなかったことをすぐに忘れられる脳

          「こないだも言ったのに」はすこやかな証

          学習障害で見落とされていること

          学習への課題は、「やる気や努力」の問題としてフォーカスされることが多いですね。 さらには「知能の低さ」だと思われることも。 しかし実際にはやる気、努力、知能 そのどれでもなく、 目がうまく使えていない可能性があるのです。 たとえば ・黒板とノートを交互に見ることが難しい ・白いノートがまぶしい ・文字が歪んで見える ・目を片方ずつ使って見ている など “見ること”に莫大なエネルギーを使っている場合があり、 そうすると、何かを書いたり考えたりするところまでエネルギーがま

          学習障害で見落とされていること

          不幸をも味わえるのが自己肯定感

          「子どもには失敗の経験が大切」って最近よく聞くけれど、 では“失敗の経験”が子どもの何につながるのか? それは自己肯定感。 人生はいい時もそうでない時もコインの両面のようにセットだから、 悪いときに不満を言っていたら人生何度も不満を言うハメになります。 悲しみのなかにしあわせを見いだす。 それは言うように簡単じゃないけれど、 それができたなら常楽我浄。 人は常にみがかれ幸せですし、いい面・そうでない面まるごと抱きしめられる人は、つよくやさしく魅力的だったりしますよね。

          不幸をも味わえるのが自己肯定感

          育児の本質を考える

          「情報は積極的に取りにいこう」 「できる人はすぐにググる習慣が」 などと美学のようにうたわれる世の中。 育児に関しても収集のつかない情報であふれ 多くの人がそれっぽい情報に流された結果、 日本の育児は乳児期からにおよび、取り返しのつかない方向にまっしぐら進んでいることに気づいている方はどれだけいらっしゃるでしょうか? 情報を取るにあたっての大前提とも言える肝心なこと。 それは本質を見極める力。 その力なしに多くの情報を仕入れたとて、 あれもこれもと飜弄されたすえ、感

          “ほめて育てる”の落とし穴

          大人の感情で子どもを「怒る」のはよくない そこで新たに出てきたキャッチフレーズが 「ほめて育てる」 たしかに怒っているよりはマシです。 しかしたいていの場合、怒るかほめるかの方法が変わっただけで、 大人が思う正解の姿に子どもを導こうとする手段になっていることは多いものです。 ほめるという行為は、大人が正しいと思っている価値観を伝えるメッセージですから、 大人の善意で生活のそこらじゅうにほめるが散りばめられると、意図せず子どもの心と体をソフトにしばりつけてしまうわけです

          “ほめて育てる”の落とし穴

          現代育児のキーワード“観察力”

          近年は育児界隈でもさまざまな教室が登場し 「赤ちゃんにとって心地よいだっこ」を習う教室も多くあるそうで、 だっこも習う時代なのだなと不思議な感覚だったりします。 そんな育児の流れをみて思うことは、 そういった枝葉の方法をレクチャーするだけで“根底にある課題”に向き合わないことには、お母さんたちの苦悩は次々にうまれ、 その都度だれかのハウツーを拝借したところで育児は立ちゆかなくなる… そんなふうに思うのですね。 そこで私は、お母さんご自身の心地よい感覚に意識を向けてみるこ

          現代育児のキーワード“観察力”

          一人の子どもをみんなで育てる

          私が親子支援に携わったここ約20年の間にも 家庭そのものを取りまく困難な状況が急速にふえていると感じます。 それはいったいなぜ? そんなことをよく考えます。 家庭の影響をダイレクトに受けるのはもちろん子ども。 現代の育児がそれぞれの家庭の問題になってしまっていることが、困難さが拡大している大きな要素だと私は思っています。 アフリカにはこんなことわざがあるそうです。 “たった一人の子どもが育つためにも村中の人の知恵とちからが必要だ” 本当にそうですね。 個人主義の

          一人の子どもをみんなで育てる

          すこやかな“子どもらしさ”の悪目立ち

          あなたはわが子や身近な子どもの様子をみて 「この子もしかして発達障害なのでは…」 と頭をよぎったことがありますか? 子どもの発達タイプはおそろしく多様で、 健常と障害 正常と異常 のように0,100思考、白黒思考で育ちを見てしまうととてもキケンだったりします。 そして大人が「この子は障害かも」と捉えたら、 どんな行動も障害児らしくみえてきたりもします。 たとえば落ち着きがなくとてもヤンチャで手がかかる子。 そういう子は、大人の都合で作った集団の規律の中ではいとも簡単に

          すこやかな“子どもらしさ”の悪目立ち

          抱っこひもに隠れた発達リスク

          目を疑うような海外製のだっこひもを わたしが初めて見たのは2009年のこと。 赤ちゃんの視界が閉ざされ 足は虫のように広がり 全体重が赤ちゃんの腰にのり・・ 当時、その抱っこひもを使用するお母さんは 「海外製で抱っこの負担が減ってすごくラク」 と自慢気にとてもうれしそうに使っていた。 しかし私自身ふくめ保育士集団からみると、 赤ちゃんの体に大きな負担がかかっていることは一目瞭然だった。 (一方で発達への理解が乏しい保育園では、 ラクな育児グッズとして率先して勧めていた現

          抱っこひもに隠れた発達リスク

          “自分らしく生きる”が困難なワケ

          自分はなにをしたくて 何が好きで 何を考えているのか 「自分」というものがわからず 精神の具合をわるくする若者…に限らず大人もふえています。 そこには、 育児、教育の中で無意識感覚にしみついた影響が、大きな一因としてあるのではないでしょうか。 大人の理想の成長の姿をださせるために ほめ、おだて、ときに圧力をかけ 「子どものため」と善意で成長発達をコントロールしつづけた結果、 子どもは大人の顔色をうかがうようになり ほめられるために、大人ののぞむ自分を生きるようになりま

          “自分らしく生きる”が困難なワケ