すこやかな“子どもらしさ”の悪目立ち
あなたはわが子や身近な子どもの様子をみて
「この子もしかして発達障害なのでは…」
と頭をよぎったことがありますか?
子どもの発達タイプはおそろしく多様で、
健常と障害
正常と異常
のように0,100思考、白黒思考で育ちを見てしまうととてもキケンだったりします。
そして大人が「この子は障害かも」と捉えたら、
どんな行動も障害児らしくみえてきたりもします。
たとえば落ち着きがなくとてもヤンチャで手がかかる子。
そういう子は、大人の都合で作った集団の規律の中ではいとも簡単に悪目立ちします。
すると令和の大人の頭にはすぐにADHD(注意欠陥多動性症)というワードがよぎります。
しかしヤンチャなのはむしろ長所、ほめてしかるべきところで、
あえていうならば正常なのはその子だったりする場合もあるのです。
大人の見方によって180度かわってしまいます。
たとえば現代の大人がよく求める「主体性」
クラスの集団のなかで、大人が「さぁこれをやりましょう」となったとき、
“大人が思うやってほしいこと”を自らすすんでやる子が主体的な子。
この場面で、
「これはやりたくない!!いやだ!」と飛び出していった子は、困った子心配な子。
大人はすぐそんなふうにジャッジをします。
さて、
あなたはどちらが主体的な子だと感じますか?
これも幼児教室などにおじゃました際にじっさいよくあるケースで、
一番子どもらしく輝いている子が、先生たちからすると
「発達に問題があるのでは?」
「家庭のしつけの問題では?」
と本気で悩まれていたりするのです。
大人の視線が否定的だと子どももそれを感じとり、自分を認めてもらえない苦しさでストレスもかかり、たとえば癇癪をおこします。
すると、「障害だから癇癪がつよいのかも…」
と大人の思い込みはさらに深くなります。
障害であるかないか子どもに矢印を向ける前に
まずあなた自身が子どもをどう捉えているのかに矢印を向けてみていただきたいのです。
そして大人の都合に合わない子どもの個性をどう受けとるかによって未来は変わっていきますから。大丈夫。