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侍も死者の声を聞く/江戸時代の法医学
前近代の法医学
死体を調べるときには、現場についてすぐに死体の側に行かないこと。風上に座り、死者の親類縁者、その場に行きがかった者を呼び出し、詳しく尋ねてから着手すること。
現代のように検死解剖による死因の糾明ができなかった時代に、いかに死体が発するメッセージを読み取るか。死因を探るための心得を記した手引き書が『無冤録述』です。
川田弥一郎の時代小説『江戸の検屍官』シリーズでも有名だと思います。
江戸北町奉行所の同心が、検死マニュアルである『無冤録述』を手に事件に向き合い、解明していくというストーリーです。
原典となるのは、1247年に中国で出版された法医学書『洗冤集録』。泉州(現在の大阪)在住の河合尚久がこの本の重要箇所を抜粋し、訓読と翻案を施して刊行されたのが、江戸時代の医学書である『無冤録述』。元文元年(1736)の刊行です。
死体の性質ごとに、注意して見るべき点を列挙してあり、とても興味深い書物です。
時代を反映する検死
江戸時代の法医学担当者(町奉行所同心など)が用いやすいよう、『無冤録述』には原典からアレンジが加えられています。
傷跡を探すときには必ず髻(ちょんまげ)をほどき、髪を開いて確認するように、など、江戸時代ならではの注意事項も。
様々な死因の死体にあらわれる特徴が記されており、「馬踏死」(牛馬に踏み殺される)、「針灸即死」(鍼灸の医療事故)、「電震死」(落雷で死亡)、「蛇虫傷死」(毒蛇に咬まれる)などの珍しいパターンが網羅されていますが、“銃殺される”はまだないことに、妙な安堵を覚えます。
現場に向き合う
『無冤録述』は死体に関する情報のほか、丁寧に現場に向き合うことを説きます。
曰く、人に殴られた後に服毒したり、首を吊ったり、入水したりする者もいる。撲殺してから毒薬を仕込んで服毒死に見せかける者もいる。死後に縄を掛けて首つりを偽装する者もいる。殺害後に水に入れて、投身自殺に見せかける者もいる。
こうしたことで不十分な調査が多いので、よく考えるようにとのこと。
例えば、傷の位置の話です。
死体がうつ伏せになって倒れていて、右手に刃物などを持っている場合。
ノドの下からヘソの下までの間に切り傷がある場合、酒に酔って転倒したなどの理由で、自分で倒れたことが原因の傷である。近くに高所がある場合は、そこに登って滑り落ちて、自分で傷を付けた場合もある。
金銭の類いを身につけているかどうか確認すること。
泥の中に落ちて死んでいる場合にも、このような例がある。
刃物を持っていて、体に傷があるのだから誰かと争って殺されたはずだ! と即断することを戒めている内容です。争いの末に殺害された場合は、金品は持ち去られている可能性が高いので、所持品についても十分に心を配るようにということなのでしょう。
科学的な根拠というものが得られない時代、最終的には拷問による自白という手段が取られることになります。
捜査権を持つ者として客観的に、かつ良心的に職務に取り組むことが求められていたということですね。
どの時代も変わらないこと
時代が変わっても、人間の本質は変わらないんだな、と思わされた部分もあります。
江戸時代の場合、町方は武家地を調査できない、寺社で発生した事件は寺社奉行の管轄になるなど、支配関係が錯綜している故のしがらみが多くありました。
凡検視に行時、其近辺又は途中などにても貴むべき人、或は産業つねならぬたぐひの者にうかと逢はぬやうにすべし、常人とは分別が違ゆゑに、わるくすれば謀を以て惑さるゝこと有也
検視に行くときは、現場の近くや途中などで「貴ぶべき人」や「普通でない生計の立て方をしている人」に出くわさないようにすること。彼らは常人とは考え方が違うので、最悪の場合は計略を巡らされ、惑わされる可能性がある。
権力や圧力など、不要な干渉が起こらぬように。
死者の真実を明らかにするためには、こちらから避けてでも、不用意な摩擦にわずらわされぬように、ということでしょう。
あえて逃げることを説くのも、英断だと思いました。
《参考文献》
東甌王編・河合尚久訳『変死傷検視必携無寃録述』(磯村兌貞、1891年)
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