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★河出書房新社 文藝別冊「井上ひさし」2013年3月発刊 寄稿 わたしが井上ひさしを「先生」とお呼びするようになったのは、二〇〇八年六月のことだ。 紀伊國屋サザンシアターで上演された舞台『父と暮せば』の開演前。先生はロビーから少し離れた衝立の向こうで、御著書にせっせと署名されていた。お邪魔してはいけないと、ご挨拶だけするつもりでそっと声を掛けた。すると先生は、わたしを衝立の内に招き入れ「過去の時間を、溶け込ませたらいいと思うんですよ……」とふいに語り始められた。最初は、
★講談社「小説現代」内エッセイページ『思い出の映画』 2015年3月 もしどんな夢も叶える石なんてものがあったら大枚をはたいてでも求めたい。だが残念ながらそんな魔法はこの世になく、誰もが自分の力で夢に近づくしかない。でもそのための勇気をくれるものなら、ある。この映画は、私にとってそうした原動力の一つだ。 幼い頃から物語が好きで、書くことで生きたいと思ってきた。大学で演劇と出会い、それからは劇作家という存在を意識するようになった。初めて紀伊國屋ホールで観劇した時の衝撃
★読売新聞 2016年3月13日(日)朝刊 掲載原稿 目的を決めずに書店に入るのが好きだ。平積みになっている新刊本や話題本を横目に奥へ進み、本の森の中で呼吸するように背表紙をそうっと辿っていく。昨日でもなく明日でもなく、今の自分が求める本を、何千冊、何万冊の中から探す。それは旅に出たときの心地とよく似ている。普段より周りの景色がくっきり見えて、見えにくくなっていた心にも気付くことができる。 一生のうちに何冊、本当に「自分に属する」本と出会えるのだろう。本の中の一節や印象深