思い出の映画「リトルダンサー/ビリー・エリオット」
★講談社「小説現代」内エッセイページ『思い出の映画』 2015年3月
もしどんな夢も叶える石なんてものがあったら大枚をはたいてでも求めたい。だが残念ながらそんな魔法はこの世になく、誰もが自分の力で夢に近づくしかない。でもそのための勇気をくれるものなら、ある。この映画は、私にとってそうした原動力の一つだ。
幼い頃から物語が好きで、書くことで生きたいと思ってきた。大学で演劇と出会い、それからは劇作家という存在を意識するようになった。初めて紀伊國屋ホールで観劇した時の衝撃を今も覚えている。ほんとうに肝心な言葉は台本には書かれていない。だが観客は、俳優の眼差しや指先、身体の表情を通して、言葉にならない想いを受け止める。劇作家は言葉と共にそうした〈声にならない言葉〉も駆使して物語を書いていた。気付いた瞬間、新たな世界の扉が開くような気がした。途方もないものに触れたような恐ろしさ。それでいて、自分だけの秘密を発見したかのような昂揚感。そんな言葉を使えるようになりたい、書いてみたい。体の芯が熱くなった。
その想いだけを頼りに、たどたどしくも戯曲を書き始めたが、それはまるで大海に手製の小舟で漕ぎ出すようなものだった。演技論もない、専門知識もない。あるのはただ見よう見まねの手つきだけ。きらめくような才能が溢れる現代演劇界で、漕ぐほどに私は、手の中の櫂がひどく頼りなく、みじめなものに思えてきた。逃げるように就職し、仕事を言い訳に劇場にも行かなくなり、いつしか書くことからも遠ざかっていった。
その頃だ、この映画を観たのは。舞台は一九八四年、英国北部の炭鉱街。サッチャー首相が炭鉱の大規模閉鎖を公表し、労働組合はストライキに突入。そんな状況下、十一才の少年ビリーがバレエダンサーを目指しロイヤル・バレエ学校の入学を勝ちとるまでを描く。
ビリーは、炭鉱夫である父と兄、痴呆症の祖母の三人暮らし。父の意向でボクシングに通わされている。ある日、ビリーに転機が訪れる。ストの影響で、体育館をボクシングクラブとバレエ教室が合同で使うことになったのだ。ビリーはバレエの動きに惹かれていく。先生のもと、生まれて初めて自身を表現する喜びを知り、才能を開花させていく。ビリー自身、このまま何もしなければ他の者たち同様、労働者となり鬱屈の中に取り込まれていくことは分かっていた。ビリーは羽ばたくことを選んだ。自身の力を発揮したいと切に願った。彼の情熱は、反対していた家族をも動かしていく。
祖母は若き日の夢を思い出し、生きる張りを取り戻す。父は、ビリーのオーディションへの旅費を稼ぐため、スト破りを決意する。父の裏切りを渾身の力で止めようとする兄に、父はビリーには未来があると泣いて訴える。やがて、ストは終わり、労働者たちは炭鉱に戻っていく。ひとつの時代の終わり、共同社会の終焉を痛切に感じながら。けれど家族にとって、故郷を旅立っていったビリーが未来を照らす一条の光となる。
観るうちに涙が溢れていた。バレエと出会い、ビリーの心に走る雷、それは私にも覚えのある熱だった。のめり込むように物語を読み、そこに連なる者になりたいと願った日々。劇場で吹きつけた新たな風。確かに感じたまぎれもない熱を打ち消そうとしていたのは、誰でもない私自身だった。私は、私の櫂をもう一度抱きしめた。
辞表を提出し、劇作家協会の戯曲セミナーに参加した。そこで、人生を変える師と出逢った。おそらくこの年を逃せば出会いの機会は永遠に喪われていただろう。背中を見つめて過ごせた期間は一年、その後、師は亡くなられた。この映画は私に、出会いの奇跡も与えてくれたのだ。
師や家族。ビリーと同じように、支えてくれる人への感謝を噛みしめながら、それでも鬱陶しいほどに弱い心は、これからも何度も立ち竦むだろう。その度にきっと思い出す。映画のラストシーン、大人になったビリーが力強く跳躍する姿を。それは炎のように胸を灼き、前を見つめる力をくれる。
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