本来の姿を思い出す
TVで平野レミさんのクッキングを観て、あのテキトーさと、おおざっぱさと、明るさに毎回元気をもらうと同時に、懐かしさを覚える。
ふみちゃんみたいだなぁと思う。
叔母。私の母の10歳下の妹。
室蘭の、日差しがたっぷり入る明るい家によく遊びに行ったっけ。私の記憶の中のふみちゃんがよく笑いながら食べる姿がTVのレミさんと重なる。皆で囲む食卓。いとこの部屋で見たチェッカーズのポスター。ふみちゃんの家での思い出は、数少ない楽しかった幼少期の思い出。母がしょっちゅう私を連れて行ってくれたことに感謝だ。
携帯の契約変更で息子と出かけて、本屋に立ち寄ったり、駅までの往復を歩いたりしてさすがに長時間外で過ごしたせいか、体調が悪くなる。疲労感、関節痛、筋肉痛ぶり返す。冷蔵庫がすっからかんで食材を買いに近くのスーパーへ出ると、
珍しく一階のゴミ捨て場が散らかっている。
ん?……
……既にゴミが回収済みのBOXはぺたんこに畳まれていた。地面に、明らかにうちのものと思われる生ゴミが散乱していた。なぜわかったかというと、息子がアルバイトで使う、濃いグレーの不織布のマスクが落ちたゴミの中にあったから。
とたんに、イラーーーッ!💢笑
普段は自分でゴミを出すのに、腕も身体もだるく、朝バイトに行くのに急いでいた息子にゴミ出しを頼んだのだった。
袋の口を結ばず、持ち手の部分はそのまま出したのだな、と思う。それにしても蓋つきのゴミ捨てBOXなのになぜ?
買い出しを終え、現場に戻る。
カラスがあさったのか、
伸びきった排水口ネット、レンコンの皮、玉ねぎの皮、キャベツの芯、卵の殻……が土の上に散らばる。
レンコンや玉ねぎ、キャベツは前日ポトフに入れ、卵は昼の卵チャーハンにして、いただいた生命。土に還れば肥料になるものだよなあと思いながら、おばあちゃんは家の玄関先の花壇に卵の殻をきれいに並べていたなあと思い出したりして。
出どころはわかっているから汚くも何もないや、というか私が剥いたレンコンの皮たち、ひとつひとつ愛おしく、ごめんね、と素手で拾って、リュックに入れていた買い物のための小さなビニール袋へ。
すべて片付けると、すっきりしたやわらかな気持ちになった。
さあ、自分にご褒美だ、自販機で何か飲み物買おう!と、すぐ近くの小さな地域センターへ。
その入り口には、一本の白いしだれ梅が見事に咲き、濃い香りが漂っていた。一人の人くらいの堂々とした存在感。
梅は梅のままに、あたたかな光を受けて咲いていた。
その姿を見て、さっきまでのイライラは吹き飛んだ。
私たちもこのように生きればいいのだと思った。
言葉はないけど、梅が全存在で教えてくれてるような気がしたのだ。
何も恥じることなく、ありのままに、本来の姿を思い出して……完璧であるその姿を。
だからどうしても、自分を変えるとか、何かを成すとかに、最近違和感を覚えてしまう。おとぎ話には、本来の自分の姿を知る話がたくさんあるのもうなずける。
本当の成功とは、もとの姿に気づき、もどることなのでは……?
ひとたび外に出れば、すぐ近くに奇跡のような景色が待っていて、この世の摂理を教えてくれる。
午後、ラジオたまむすびにゲストとして出ていたゲッターズ飯田さんの占い師としての活躍に至るまでの経緯を聞いたら、天が彼を選んだとしか思えないくらいの道の開き方で、
やはり天職というのは、天がその人に求めている仕事なのだ、それは自然に世の中の人の役に立つものだ、だから私も委ねていこうと呼吸が深くなったのだった。
最後に……
よく読ませてもらっているCHIEさんのブログ↓でこんなこと書かれてました。深〜〜!
本当の自分になるのは、自分を忘れたときだと。
「好きなこと」にヒントがありそうです!
〜長文、最後まで読んでいただき、ありがとうございます♪〜