森のイスキア
作家 田口ランディさんのnoteを読んでいたら、森のイスキアの話が書かれていた。
今から5年前に94歳で他界した佐藤初女(はつめ)さんという方が主宰していた、青森の岩木山のふもとにある森のイスキア。
悩める人たちの心に寄り添い、手づくりの料理を一緒に食べる。そんな活動をしていた初女さんは
「おむすびの祈り」など、たくさんの本も書いていらした。
ある有名なエピソード。
死のうと思っていた青年がイスキアを訪れ一泊した。心を閉ざした青年は、多くを語ることもなく翌日去ることになった。しかし、初女さんが帰り際に渡したおにぎりがおいしくて、死ぬのをやめた。
初女さんは、映画「地球交響曲(ガイヤシンフォニー」にも出演されており、私はランディさんや、料理家の高山なおみさんのエッセイでイスキアを知り、15年程前に子どもを連れて訪れたことがある。
あのとき、私はどん底だった…。
離婚し、職も失い、親兄弟とは仲が悪く、孤独でとても心細かった。
母には拒絶され、そんなときに訪ねたのが森のイスキアだった。
季節は五月のゴールデンウィークあたりだったと思う。新緑が美しかった。
私たちが到着したとき、初女さんはキッチンカウンターに腰かけ、にんじんの皮をむいていた。
宿泊客は私たち親子と、関東から来た喫茶店のオーナーと従業員7〜8名。
当時、小学館から出ていたedu(エデュー)という小学生の子を持つ親向けの雑誌があり、初女さんは「母の心はすべてに」というコーナーを持っていた。
私たちが宿泊する日と取材日が重なるので、写真を撮らせてほしい、雑誌にも載せたいと出発前にあらかじめお願いされていた。
初女さんと息子の写真が載ったその雑誌は、宝物だ。
子どもが無邪気に「ねぇねぇ、ごはんまだー?」と何度も部屋のふすまを開け、ごはん支度をしている初女さんたちを急かすので、先に食べさせてもらった。
初女さんとスタッフの方たちが丁寧に作った、テーブルいっぱいの家庭料理。
夜には、喫茶店の方たちがギター片手に歌う、にぎやかな様子が聴こえてきた。
初女さんと共に過ごしたのに、私は何を話したのかよく覚えてないし、初女さんが話したことも覚えていない。
初女さんは、ただ、そばにいて座っていた。
じっと私の心の声に耳を澄ますようにして。
森のイスキアを離れるときは涙が止まらず、バスの中や、新幹線を待つ間も泣いていた。
東京に戻ってから一度お礼のお手紙を出して、結局イスキアを再び訪ねることは叶わなかった。一度、一年後くらいに問い合わせたのだが、予約がいっぱいだった。電話に出たスタッフの方は私たちを覚えていてくれ、「初女さんとも、あの親子さんどうしてるかねぇと話すんですよ」と言っていた。
森のイスキアで撮った写真のアルバムが出てきた。写真屋さんで無料でもらえる小さな薄っぺらいやつ。
今回、この文章を書くにあたって久しぶりに見ていた。息子がまだ小さかった頃だ。初女さんと三人で庭のベンチで撮ったものもあった。
アルバムを閉じて背表紙にふと目をやると、メモ欄があり何やら文字が書かれていた。
息子が覚えたばかりのひらがなで、マジックペンで書いたものだった。初女さんへのお手紙らしかった。
はじめに自分の名前を名乗り、たどたどしく、こう書かれていた。
げ ん き で す か
お い し い ご は ん
あ り が と う
イスキアを発つ前に食べた大きなおむすびや、送り出してくれた時の鐘の音を思い出す。
私たち、ここまで来ることができました。
初女さん、ほんとうにありがとう。