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【本の紹介】『紫式部日記』(紫式部)

元国語教師だというのに、『紫式部日記』を初めて読みました。

仕事と子育てを両立しようとしたら、『紫式部日記』まで手が回らなかったということで…
大学でも近代文学専攻でしたし…
…言い訳タラタラ😆

仕事も子育ても卒業したので、のんびり『紫式部日記』を読んでみました。

原文だけではなく、現代語訳も山本淳子氏によるわかりやすい解説もついているありがたい本です。

構成

1 1008年から1010年にかけての宮中の様子を書いた日記文
2 消息文(手紙文)
3 日付不明の日記文
からなっています。

1 日記文(1008年~1010年)

印象に残っている部分をご紹介します。

・中宮彰子の出産前後
→『光る君へ』で描かれていた、「大勢の人々が経を上げる様子」、「物の怪にとりつかれた人が暴れる様子」などが日記に書いてあります。

・一条天皇と若宮の対面
→帝がお付きのものをたくさん引き連れて、土御門殿にいらっしゃる様子が詳細に書かれています。

・五十日の祝い
→公卿たちが酔っ払って女房にちょっかいをかける姿を藤式部があきれてみている様子など、『光る君へ』で再現されていたとおりの記述があります。

また、左衛門の督(藤原公任)が、『あなかしこ、このわたりに若紫やさぶらふ(ねえねえ、このへんに若紫さんはいらっしゃいますかね)』とふざけ、藤式部が(光源氏のような方もいらっしゃらないのに、若紫がいらっしゃるはずがないでしょ)と思って聞いていた、という記述もあります。
ドラマでは、藤式部が口に出していましたが、日記では心の中で思うだけでした。

・御冊子作り
中宮彰子が、帝のために『源氏物語』を差し上げたいとおっしゃるので、みなで作業をしたことについて日記にも書いてあります。
清書をお願いする手紙を送ったり、
色とりどりの紙を取り寄せたり、
道長から墨や筆を贈られたり。

またこのようなことも。

局に、物語の本ども取りにやりて隠し置きたるを、御前にあるほどにやをらおはしまいて、あさらせ給ひて、みな内侍の督の殿に奉り給ひてけり。よろしう書きかへたりしはみなひき失ひて、心もとなき名をぞとり侍りけむかし。

(現代語訳)物語の原稿を自宅から取って来させて、局に隠してあったのだけれど、私が中宮様のお近くにいる間に殿(道長)がこっそりいらっしゃり、家捜しなさって、全部内侍の督(彰子の妹)に差し上げてしまわれた。書き換えたものはみななくなって、(草稿はこうして全部伝わって)残念な評価を受けることになるのでしょうね。

道長が紫式部の家に侵入して『源氏物語』の原稿を家捜し?
せっかく校正した物語はなくなった?

そんなことがあったとは!

・盗賊事件

中宮様の御座所で大声がするので藤式部が急いで行ってみたら、女蔵人(お手伝いをする女性)ふたりが、裸で、「盗賊が…」と震えている。藤式部は大声で弟の惟規を呼ぶが来ない。衣服を取られた女蔵人には、中宮様自ら御座所にあった着物を与えられた。
→そうそう、この場面もドラマに出てきましたね!


『光る君へ』はもちろんフィクションですが、
もしかすると私が学校で習った平安時代よりもずっと史実に近いのかもしれない、と感じました。


次の「消息文」では、清少納言、和泉式部、赤染衛門に対する批評が有名ですが、それ以外にも「こんなこと書いちゃって大丈夫だったのかしら?」と心配になる記述が満載です。

この部分は紫式部さん、公にするつもりで書いたのではないかもしれませんね。
では次回以降に続きます。





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